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蛍飛び交う / 巣箱のその後 [環境・自然]

IMGP0021.jpg蛍の生息場所

7月30日に家の周りでホタルが飛び交い始めた。
ここから50mほど下の場所では一週間前に今年はじめてのホタルを見たので、そろそろかなと思っていた。標高50mの差は、案外に大きな環境差となる。
気温も湿気も違い、梅や桃や桜が開花するのも一週間遅れ。

いきなり飛び交い始めたホタルは感動的だった。
光の点滅の速度からいってゲンジボタル? それとも両方かな。けっこう速い点滅もあるし・・。
ホタルの動き方は神秘。フワフワただよっているかと思えば急降下したり、あるいは花火の残り火が落ちるように弧を描いて静かに下に降りたり・・。時々はまっすぐ水平にす〜っと流れるように飛んでいく。これがかなりのスピードで驚く。どんどん木の上の方に上がっていき、急に光がみえなくなったかと思うと、思いがけない場所にポッと光が現れる。まるで遊んでいるように二匹で一定の距離を保って飛んだりもしている。
また地面でも草むらの陰でホタルが光っている。これは地蛍のよう。
間近で数えられたのは8匹ぐらい。


さて、中をきれいにして再び取り付けた巣箱だが、そのうちの二つの巣箱にはまたシジュウカラが入った。一つの巣箱で7月21日から餌を運ぶシジュウカラの親鳥の姿が見られ、最近は餌運びの回数も増えて来た。7月20日頃ヒナがかえったのだとすると巣立ちは8月4日〜6日あたり?昨年は巣立ちの瞬間を見ることができたけれど、そうそううまく見られるとはかぎらない。

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餌を運んで巣箱の前の小枝に止まり、しばらく周りを伺っている親鳥。
かなり慎重に警戒している様子。

雌が餌をくわえて小枝に止まっているときに雄も餌を運んできた。
雌は餌をくわえたまま羽を小刻みに動かし、雄も同じように羽をすごい速さで動かしている。あれは鳥同士のあいさつだろうか?
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二羽で巣箱に入り、ヒナのふんをくわえて出て行った。
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もう一方の巣箱では、出入りはほとんどなく、親鳥が卵を温めているみたいだ。たまに巣から顔をのぞかせたりする。日に数回は外に出ていって食事をしてくるようだ。

7月30日、小鳥の警戒のさえずりが激しくなり、あわてて行ってみるとやはり木の根元に猫がうずくまっていた。両方の巣箱の親鳥が騒いでいる。人間を見て猫は逃げて行った。
前回、猫の襲撃に懲りたので、木の回りに猫よけ(プラスティックでトゲトゲがついている)を付けてある。すぐに追い払わずに猫よけの効き目を確かめるべきだったか?

また三つ目の巣箱には一週間前、何か見えたと思い双眼鏡でみると、なんとヘビだった。
う〜ん、卵を食べてしまったのか、それともとりあえず木に登って巣箱に入ってみたのか・・・なんともわからない。ヘビをどうしてよいかもわからず・・。
これが自然の摂理だと思えば仕方ないのだ。でも自分が作った巣箱にヘビが入っているのはかなり不愉快。外からほうきで巣箱をたたいて追いだそうとしたら、逆にヘビも中でじっと固まってしまった様子。ヘビだって自分の身は守ろうとするわけで・・・。
あきらめてほうって置くことにした。
その後でヘビよけにガムテープをまきつけた。
ちょっとみっともないけれど子育てが終わる8月末まではこうしておきます。
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巣箱の放棄 [環境・自然]

4月下旬、巣作りの準備が始まった。まず巣箱の下調べ。
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P5055700.jpgニュウナイスズメ

去年より一週間遅かったが鳥たちが次々にやって来て巣箱を下調べ。
どうやら気に入ったらしく、巣づくりが始まった。
今年は新顔のニュウナイスズメもゴジュウカラと争いながらも巣箱に入居。

2週間後、そろそろヒナが孵る頃と思って気をつけて見ていたが、巣箱は静まりかえっている。ヒナが孵ると餌運びが始まるので親鳥がひんぱんに餌を運んでくるのにそういう動きがないまま三週間。

あるとき、四つのうちの一つの巣箱の屋根の上にキジトラの猫がうずくまっていた。あわてて追い払ったけれどしばらくするとまた巣箱の上に登り上から出入り口の穴を見張っている。
心配になってはしごをかけ巣箱を覗いてみた。
残念なことにシジュウカラの親鳥が中で死んでいた。巣箱にあった卵は9個。

他の巣箱も心配になり調べたら、一つはピンク色の卵がやはり9個ぐらいありなんとなく放置されている気配。ニュウナイスズメが入ったと思われる巣箱は箱の上の方まで枯れ葉のようなものがいっぱいで中がよく見えない。
そっと手をいれると、ブ〜ンという虫の羽音みたいなのが聞こえる。
鳥の威嚇音かと思ったが、結局はここの巣箱も卵が放置されていて、その代わりにハチが巣作りをしていた。マルハナバチのようだった。手を入れても攻撃して来ないのであまり人に危害を加えるハチではなさそうだったが、この巣箱は取り外すことにした。

最後の一つミズナラの樹に取り付けた巣箱は下が開くようになっていて、開けたらヒナを暖めているシジュウカラの親鳥と顔をハチ合わせしてびっくり。あわてて蓋を閉めたが鳥もさぞびっくりしただろう。

昨年は3つの巣箱から(4回)元気にヒナが巣立って行ったのに、今年は1つだけ無事であとはダメだった。
やはり高原に猫などいるとどうもまずい気がする。リスも警戒して来なくなってしまったし。近所の猫なのだが、どこにでも自由に歩き回っているので、防ぎようがない。
犬は今の時代放し飼いはしないし、国立公園内は犬は入れないことになっている。

卵を生んだ状態で巣が放棄されているのは、とても残念で、気持ちが沈んでしまった。
私は大の猫好きで家にも2匹いるが外には出さない。市街地は猫が外を自由に出歩いていることも多いが、もともと人家が密集して環境も壊れているし、それほど気にならないのだけれど、山の中はやめてほしいなあ。
ミズナラの樹のシジュウカラ一家は無事に子育て終わるのだろうか。
5月18日に餌を運び始めたので、巣立ちは7月上旬のはず。

中をきれいにしてかけ直した巣箱に、また、巣作りする鳥がいるかもしれないと少し期待している。去年は同じ巣で二回ヒナが孵った。
でも一度猫の襲撃などがあると警戒して、その場所には近づかなくなってしまうのだろうか。

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イワナとカワネズミ [環境・自然]

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山中の家の前の川では毎年イワナが孵化して、雪解けの4月にはかわいい稚魚を見ることができる。川の数百mぐらいの間に10カ所ほど川の流れがおそくなっている所があり(淵というにはあまりにも小さいが)、そういう場所ごとに必ずイワナがいる。
一番大きな場所には一番大きなイワナがいる。
ふしぎだなぁと思っていたのは、毎年孵化しているのに成長したイワナの数があまり増えないことだ。
減りはしないが増えもしない。

ここでは誰もイワナを釣ったりしないのだが、やはり生きのびるのはむずかしいのだろうか。
そう思っていたら、家の前のU字溝から銀色に光る小さなものがシャシャシャーッ、と川を登って行くのを見た。
イワナが身をくねらせて泳いでいるのかと思っていたが、どうもイワナの動きとちがうようだ。
数回それを見て、ネズミだと気がついた。
調べて見ると渓流にはカワネズミが住むという。
「こいつがイワナの稚魚を食べていたのか」となぜか腹が立ってしまった。
考えてみればイワナも川ネズミもこの川の住人であり、カワネズミに悪いところはない。
なのにいつもイワナを眺めて楽しんでいる私は、カワネズミは可愛いイワナを食べる奴、という風に一瞬思っていた。
似たような勘違いをすることは多いような気がする。人間は錯覚しやすいのだ。

カワネズミは日本固有種。
<長野県では、北信、中信、東信、南信に生息し低地から標高2.000mまでの山間地の渓流に生息。個体数が少なく、長野県では準絶滅危惧種NTに指定され、「かっては県内の河川に広く分布していたが、水質汚染などにより、山間地の渓流に分布域が縮小していると考えられる。」とされている(長野県版レッドデ−タ・ブック、動物編、2004)>
イワナもカワネズミもきれいな川にしか住めないのだ。

天敵から生きのびたイワナは小さくても丸々太っていて敏捷。人の気配を感じるとサッと葉の陰や川底の落ち葉の中にもぐりこむ。
何年か生きのびて大きくなったイワナはライトで照らしてもそれほどあわてて逃げまどったりせず、ゆったりと泳いでいる。
堂々として立派でほれぼれしてしまう。

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原発の行く末(2) [環境・自然]

震災以後、新聞は以前よりずっと丁寧に隅々まで目を通すようになった。
今は毎日新聞を購読しているけど、毎日新聞の震災に関する報道はかなり詳しく、また、その時々のまとめの記事もていねいでわかりやすい。
紙面論調は一貫して「原発見直し」「新エネルギーへの転換を」というもので、読んでいても「読み甲斐」がある。
新聞を読み比べたりはしないが、回りの人の話を聞くと、原発事故の記事に関しては毎日新聞は他紙に勝っているようだ。

それに比べNHKの報道はひどい。どんどんひどくなっている。
先日、1号機の燃料がメルトダウンをして圧力容器の底に穴があいているらしい、という事実が報道された。
この大変な事態を説明するのに、NHKのニュースキャスターとコメンテーターが、平気な顔してまるで何でもないことが起こったような口ぶりで話していた。
毎回、深刻な事態をことさら何でもないことのように報道するのに腹が立つが、13日の報道には本当にひどかった。キャスターが大越健介、コメンテーターが岡本孝司。
明るい声で大越キャスターが言う。「今回のことについてどう思われますか?」 岡本氏が明るい表情で「こうなるとは思っていなかったんですがね。ちょっと残念ですねぇ。」あっけにとられた。
何が「ちょっと残念」だ。なぜ「大変な事態に起きていた」と言わないのか。

浜岡原発の停止を菅首相が要請したときは、市民の声として、唐突だ、他の原発も影響をこうむる、電力不足が心配だ、など反対意見ばかりを報道しているように思われた。
(スズキ自動車会社の鈴木会長がインタビューで「昨年の猛暑のときの電力需要でも、原発ぬきの電力供給で間に合う数字だった」と述べていたが、そうだろう、そうだろう、と思った。不思議なことに、去年の猛暑では「節電」の必要性がさっぱり聞かれなかった。)

今はさすがに浜岡原発停止に対する反対意見はなりをひそめている感じ。
今日(5月16日)の毎日新聞の世論調査(被災地をのぞく)によると、浜岡原子力発電所停止について「評価する」が66%、「評価しない」(25%)だった。
浜岡原発以外の原発については「停止する必要はない」が54%、「停止すべきだ」は34%。
これからの日本のエネルギー政策については、「原発は減らすべきだ」が前回より6ポイント増え47%、「原発は全て廃止すべきだ」が12%、「やむを得ない」が9ポイント減って31%、とあった。

浜岡原発の運転停止については、内閣支持層の78%、不支持層でも61%が評価したていて、支持政党別にみると、民主党支持層の79%が評価、自民党支持層でも58%、公明党支持層でも55%がそれぞれ評価しているとあった。

14日の日曜討論を半分くらい見ていたら「これからは自然エネルギーの方向」をどの党も強調していて(確か公明党は「原発の安全性を確認しつつ」とも言っていたけれど)、原発志向が方向を変えつつあるように思えた。
菅首相の「一番危険な浜岡原発をストップ」は、推進派からはあれこれ言われたが、これまでの流れを大きく変える布石になったのだと思える。でも油断はできない。
必ず反対方向へ揺さぶろうとする力は働くだろうから。

今一部で話題になっている、「内閣不信任案」の話も、そういう力の一つだろうか、という気がしてきた。
野党と与党内の小沢派(?)が、政府の福島第一原子力発電所の事故対応について、
「今のような対応を続ければ、被害は拡大し、取り返しのつかないことになる」と批判を強めているのだという。
今のような対応が何をさすのかわからないけれど、政府の対応がおかしいという所はたくさんある。文科省などまったく信じがたい対応ぶり。
ただ、これらの対応のすべての責任が菅首相にあるということにはならないような気がする。

たまたまヤフーの「内閣不信任案の提出は『適切』か『不適切』かという意識調査を見たら、結果があるはっきりした傾向を示していた。(信憑性が持てない調査という気がするけれど、もともとあてにならないのが世論というもので、あてにならずフワフワしていてもそれなりに影響力を持つからこわい。)

それによると、内閣不信任に賛成しているのは、支持政党別にみると、自民党支持者、公明党支持者の7割以上、民主党支持者の51%くらい。これに対して、今の時期は不適当と答えているのは、共産党と社民党の7〜8割、というものだった。
菅首相はつまり、保守派から疎まれ、革新勢力から支持を得ているようだ。ようやく、政治界のいろいろな動きの不愉快さの正体がわかったような気がする。
(この政党別の結果表は今は削除されているみたいです)

菅首相への批判が、私からみるとどうもピント外れな感じがする理由がここにあるように思った。たぶん、菅首相は「左」からの支持もあるため、同じ民主党内の別の派閥や、自民党や公明党やら、NHKから疎まれるのではないか。
愛国心を掲げる人たちから絶対に嫌われるタイプなんだと思う。

福島原発の見通しはますますわからなくなってしまった。原発被災は果てもなく続くのだろう。「原発ぬきのエネルギーを、節約して使う方法」を考えていく方がかえって現実的な策になったのではないかと思う。



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原発の行く末 [環境・自然]

菅首相が浜岡原子力発電所のすべての原子炉の運転停止を中部電力に対して要請した。
よかった、よかった。と、今はこう素直に喜んでいる。
これで逃げ場がなくなるということはなくなった。何しろ、日本列島を取り囲むように原発があって、安全な場所など日本にはほとんどない。何かあったらどこにも逃げようがない。3.11後も執拗に余震あるいは別の地震があって、これは東海地方は危ないな、そうなったら日本も終わりだな、と感じている。
地震国の日本で原発はどう考えても無理だったのだ。

福島原発事故が起きて、原発は無理なのではという世論が高まり、もと原発推進派の研究者や学者の反省なども報道されてきたけれど、一体この先原発をどうするのかについては、はっきりしていない。震災復興に全力を挙げたいときなのに、原発をどうするかという問題をそのままにしては、復興もスムーズに行かないだろう。

浜岡原発の全面停止も、安全面で強化ができるまで(およそ2年間は必要だそうだ)、というもので、50機以上ある原発をどうするかもまだ棚上げのままだ。それでも浜岡原発全面停止というのは膠着状態の原発問題に対する大きな一歩だと感じる。
さっそく、「菅首相のパフォーマンス」だの「政権維持のための苦肉の策」などいろんな意見がテレビやネットを飛び交っている。
(じゃ、全面停止を提言しなければよかったの・・? いいよ、いいよ、首相の座にしがみついたって・・。自民党だったら止まらなかったよ。)
たとえ、そういうことも考えての提言だとしても、菅首相には浜岡原発を危ないと思う気持ちが真に無い、などということはないだろうし、浜岡原発を止めることは取り合えず良かったというのは事実だ。
ウラのウラの話など事細かく知ってもそれでどうにかなるものではない。

福島原発事故によって、原発を今後どうするかは避けて通れない緊急の問題となった。
災害復興は場当たり的にはできないだろう。これまではそうであっても、これほどの震災が起きた後では、多くの人が一致して目指すことができる「理想の方向」というものが必要になるだろう。そのときに、「原発をどうするのか」はどうしても考えなければならないことなのだ。

不思議なのはこれほどの大事故が起きても、まだ、原発をなくすわけにはいかないだろう、と考える人がいることだ。これからも安全面の対策を強化してもらえば続けてもよい、と考える人がいる。「安全面を強化して」という言葉が、原発を受け入れることになり、その結果こういう事態に至ったのに、まだそんなことを言えるのは、やはり被災したのが自分ではないからなのだろうか。自分や自分の家族が放射線被害に直面する事態になるまでは考えは変わらないのだろうか。

人間が造ったものに事故はつきもの、という「あきらめ」の考えも一般的にある。安全管理の手抜きから、飛行機や列車の大事故も起きる。車の事故など日常的にある。
しかし、原発の事故を飛行機や列車事故と同列に並べることはできない。
飛行機や列車の事故は一瞬にして大惨事を引き起こすが、原発事故は一瞬の惨事で終わりなのではなく、その災害がいつ果てるともわからずに続くのだ。

「風評被害」ということがさかんに言われるが、それが放射能というものでしょう。目にみえないし、ちゃんと放射線量を測っているのかどうかも私たちにはわからない。
ここの野菜に、ヨウ素が、セシウムが、見つかった、と言われて、ではその周辺の野菜は大丈夫なのだろうかとは誰でも思うことだ。すべての周辺の土地、野菜をまんべんなく調べることなど、到底できそうにない気がする。
原発に備えてあるはずの測定器さえ、故障だの、数が足りないなど言っている始末なのだ。一カ所検査してその辺りは大丈夫、と言われても、他は大丈夫か、全部ちゃんと調べたのか、と、人が疑心暗鬼になるのは当たり前のことだ。
私などは、そんなに神経質には考えなくてもいいや、と思う質だけれど、若い人、小さな子供がいる家族はそうはいかないだろう。

海の中の放射線量など、とても測れるものではないと感じる。たまたまどこかで測ったらこうだった、という情報しか得られないと思う。

福島原発事故で避難した方が、「いつになったら帰れるのか」「戻れるのかもどれないのかはっきりしてほしい」と思うのは当然のことだが、「事故の収束に今後どの位の年月がかかるのかわからない。永久に一部の地域が立ち入り禁止になるかもしれない。」というのが原発事故の特徴なのだと思う。

原発事故はそうしたものだということを知っているかどうかは「教育の問題」もある。
経済に支配されている社会では、経済効果ありという政策が、巧妙にあらゆるメディアを使って宣伝され、人々の頭にしみこんでいく。<この世で一番大切のは金(経済)ですよ。それを考えないのは大人ではありませんよ!>
これに対抗して、科学的に見て可能なのか、危険性はどうなのか、は「教育」(学校だけではなく広い意味で)でしか伝えられない。
それなのに、原発が日本に造られ始めると、全国の校長、教頭を対象に「原発に対する理解を深める」ための講習会を開き、ぜいたくな接待まで行われていたらしい。(参加した人から聞いた話)
学校で、原子力について講演をしてもらおうとすると、原発に反対っぽいの立場のひとは困る、と言われる始末だった。大方の学校では、原子力の平和利用をすばらしいものとして教えていたのではないかしらん。

今、こういう事態になって、さすがそれはできなくなっただろう。
でも、まだまだ、みんな呑気すぎるよ、と感じることは多い。

今まで、原発推進の力が君臨してきたのだから、いきなり全原発撤廃はむずかしいだろう。でも5年、10年計画で、原発をなくす方向でいく、ということは共通の目標にできるはずだ。そうなってほしい。
少なくとも、福島原発の事故が完全に収束し、最後どうなるかを見届けるまでは日本中の原発停止を進めるよう必死に努力べきだ。陸から海まで汚染し続けながら、平気で、これまでと変わらず原発利用はおかしいだろう。

チェルノブイリは25年経ってもまだ終わっていない。
福島原発の最後を見届ける前に、たぶん私はこの世にはいないね。
ところで誰かが言っていた。これからは「廃炉ビジネスが儲かるぞ〜」と。

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震災の一ヶ月後 [環境・自然]

先日、数ヶ月ぶりに茨城県谷和原市にあるスリランカ料理店、レストラン294に行ってみた。
店内は昼食時というのに客がいない。震災で天井が壊れていて、壁にもひびが入っている。店内に置いてあった大きな観葉植物の鉢も、地震で壊れたのかなくなっている。食器類もすべて壊れ、スリランカから取り寄せたそうだ。

料理を待つ間、オーナーのサラットさんが、被災地見舞いに行ったときの写真を見せてくれた。大地震後、もう3回も茨城、福島の被災地に行ってカレーをふるまって来たそうだ。
ボランティアで被災地に入ることも大変なときに、スリランカの人たちが3回も炊き出しに行ってくれたことに驚いた。店も地震の翌日からずっと開いていたそうだ。

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右端がサラットさん

サラットさんに「スリランカに帰らないのですか」と聞いた。子どものいる人はみな帰ったという。「サラットさんは?大使館から帰国するように言われているのでは?」と聞くと、
困ったような顔をして、
「地震の後、この辺のコンビニから食料がなくなった。だからレストランで料理のテイクアウトを始めた。」
そう言えばテイクアウト500円、と看板が出ていた。「水もつけたんです。」とサラットさん。そうか、この町に住んでいる人達のために利益を考えずにカレー料理を作っているのだ、とわかった。
ランチは790円、夕食も今はランチと同じ価格でサービスしているそうだ。

それでも夕食に来る客はあまりいないらしい。「隣のソバ屋さんもまったく客が入らずに困っている」と心配そうな顔。
赤字を承知で店を開いているのに、わざわざ埼玉から来てくれたからと、2品も余計にサービスしてくれた。スリランカは、2004年12月のスマトラ沖地震による大津波で被災民50万人(死者3万1000人)という大災害に見舞われている。そのとき日本から支援されたことを忘れていない。本当に人情に厚い人たちだ。

谷和原は茨城県の南西部なので、地震の被害で家々の瓦が崩れていたり壁がひび割れていたりしている所があるけれど、それほど大深刻には見えない。それなのに、地震後一ヶ月経つというのに街に活気がない。こんなところに原発事故の影響が出ている。水道水の心配や大気中の放射線量の多さの心配やらで、街が息を止めてしまっているようだった。

谷和原の桜の名所に行って見た。小貝川の土手に沿って、桜と菜の花が真っ盛りで、この風景は昔からこんな風だったんだろうな、と思った。
ウグイスがきれいな大きな声で鳴き、のどかで美しい風景だった。

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かなり風があって、「この風はどのくらい放射性物質をまき散らしているのかな・・」とつい考えてしまう。谷和原は福島原発から100kmほどなので放射能汚染の心配はやや高い。それでも桜に誘われて人がけっこう集まり静かに花見を楽しんでいた。
目には見えない「怖ろしいもの」が漂っているかもしれない空気の中で、桜並木はかえって美しく悲しく見えた。放射能さえなければねぇ・・。

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原発事故を考える [環境・自然]

津波で町が根こそぎ流されて3万もの人の命が奪われ、それだけでも到底受け入れがたいことなのだが、その上に原発事故。放射能に汚染された水がもう何日間も海に流れているという事態。これは本当につらい。
遠く離れた場所にいる人間でもこんなにつらいのだから、被災地の方々の悲嘆は計り知れない。

汚染水の放射能数値は東京の4300倍になるとか、原発建屋の回りは1000ミリシーベルト以上を超えている(針が振り切れてしまい、もう何千ミリシーベルトかわからない)とか、だんだんそういうニュースに感覚がマヒしていく。
とんでもないことをさりげない口調で告げられると、受け取る方も「ふ〜ん、困ったな。大変だな。」とあまり感情をまじえずに聞いている人が多い。
でも、これは異常な事態なのだ。

汚染水がもれているピットのひびわれをなんとか改修しようとしている。そしてこの汚染水をこれ以上海に垂れ流さないために、今、放射性排水を処理する施設内にある1万トンと、5、6号機の地下水1500トンの低レベルの汚染水を海に流すそうだ。低レベル汚染水は海の生物への影響(つまりそれを食べる人間への影響)はそれほどではないという。それでも汚染水なのである。
NHKの解説者も「低レベルと言っても通常は絶対に海に流してはいけない水です」と言っていた。

報道がきちんと行われているかどうかはすごく重要な問題なのだが、これまでに報道された事実だけでも原発事故のひどさはわかる。
原発事故の収束へのステップ、として、NHKが報道していた。
それによると、
フェーズ1 非常事態の回避:冷却と閉じ込め
      数週間〜数ヶ月
フェーズ2 長期的な安全の確認:リスクの管理
      半年〜1年
フェーズ3 廃炉:解体  除染  封じ込め
      10年以上

だそうだ。多分少なく見てもこうなのだ。

毎日新聞にチェルノブイリの現状が載っていた。1986年のチェルノブイリ原発事故では爆発した原発機をコンクリートで固めて石棺にした。事故直後の半年間の突貫工事に60万人が作業員として動員され、多くの人が被爆し死者も多数出た。周辺半径30kmはずっと立ち入り禁止だった。しかも25年経ってコンクリートの腐食が進み現在は亀裂から放射性物質が漏れている状態。石棺全体を覆う金属製のシェルターの建設を計画中だそうだ。完成すると100年間は原子炉を「封印」できる(予定)。建設費は約1800億円。
原発は一度事故を起こしたらおしまいなのだ、と感じる。

NHKのETV特集で「原発災害の地にて」という番組を見た。
玄侑宗久と吉岡忍の対談、原発被災で避難された方への吉岡氏のインタビューだった。吉岡氏は放射線測定器を持ちながら被災地に入っていた。(測定器の針が一番上の目盛に振れてしまっていた。)
「原発のことを今どう感じていますか?』という問いかけに、
「自分はもともと反対だった。住民の半分は反対だったと思う。」

また「あまり反対の声は出てこなかったように思うのですが」という問いに、

「上からつぶされた。反対したのは年寄りと、若い人と女の人だった。年寄りは原爆の怖さを知っているから。中間層の7、8割は電力会社で働いていた。自分が働いている所に反対意見を言うのはできないよ。」

年配の男性が、
「いつかは爆発すると思っていたよ。まさか自分の代にそうなるとは思っていなかったけど。」
「安全だ、安全だと言われてきたんだから。」

安全信仰には、どんなことに関しても言えることなのだが、「すぐに危険が来るわけではない」「まさか私がそうなるとは思わない」と、どこか自分と切り離してしまうもののような気がする。
そう納得させて目の前の問題だけをなんとか乗り越えようとする。被災された方も「原発のおかげで町が豊かになったのは事実だった。」と語っていた。

「人の死は回りを変える。この国は変わると思いますよ。」との玄侑氏の言葉が人々のこの災害に対する受け止め方の方向を示しているような気がした。

気になった事が一つ。
「こういうときにあまり批判すべきではないというのが一般的だと思いますが、原発事故は今、現在進行中。(この事故の方向を)良い方へ向けるためには発言しなければと思う。」とわざわざ玄侑氏が述べたこと。

何か重大な事件や事故が起きたときに、一生懸命取り組んでいる当事者を批判すべきではない、という考えがいつどこから生まれたのか不思議だ。
原発への批判は作業をしている人たちへの批判ではない。
ある事件でワ〜っとマスコミが騒ぎ立て、みんなが「○○が悪い」と言い出すのは確かに見苦しい。でも、日本はむしろ逆の傾向があるのに、と私は感じている。
学校で教員による体罰事件やセクハラ事件が起きても、まわりの教員がその問題を騒ぎ立てないようにしてしまう。問題にしようとする人間は村八分になる雰囲気がある。
まずい問題をことさら言い立てるべきではない、無難に終わらせようという姿勢は、日本人の体質の中に深く染み付いている。
そうやって戦争に対しても責任の所在を追求しきれないまま終わったのではないか。

「原発は無理」という主張を誰に遠慮することがあるだろう。
まともなことを言うのにブレーキをかけるなんてまったくおかしい。
ブレーキをかけずに人々がめちゃくちゃに批判した事件がある。イラクで日本人が誘拐されたとき。安否を心配するより、多くの人が「自己責任だ」と責め立てた。あんなに不愉快だったことはない。
つまりは、日本人は、弱い者を批判するのだ。原発みたいに日本経済の中心にいるようなものに対しては批判はしないのだ。

せめて日本だけでも原発はやめる方向に行ってほしい。海に囲まれたこんなに狭い地震国に原発はどう考えても無謀だと思う。

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「原発事故のデマ」とは? [環境・自然]

福島第一原発の爆発事故で、農産物、原乳の汚染、そしてついに200km離れた埼玉や東京で飲料水の放射能汚染が報告されました。
埼玉の川口ではおととい(3月22日)に放射性ヨウ素の数値が基準値をこえ、今日はまた下がったという。
おとといは何の知らせもなく、いかにも数値が下がるのを待ってから報道したようです。

「健康に直ちに影響が出るということではありません」「デマに惑わされないように冷静に行動してください」と盛んにテレビから呼びかけがあります。
「直ちに」というのは何のなぐさめにもならず、あいまいです。
「一回摂取したから危険という事はありませんが今後は摂取しないようにしてください。」という方がわかりやすく親切だと思います。
また「デマにまどわされないように」というのはこれもまた無意味な言葉で、第一「デマ」ってどういう「デマ」なのかよくわかりません。
「危険ですよ」というのがデマなのか、「そんなに危険ではありませんよ、安全ですよ」というのがデマなのか・・。私は「安全ですよ」というのがデマだと感じますが他の人たちはどうなのでしょう。
もし、人々の危機感を「デマにまどわされている」と言っているのだとすると非常に問題だと思います。根拠のない「安全信仰」の方がずっとこわい結果になると思うからです。確かに地震後に急いで品物を買いに走ったりというのも困るのですが、生命や健康に関しては、敏感でいなければならないと思います。

体制に都合の悪い事はなるべく報道しない、のが日本の一般的な報道姿勢です。
東電は大企業なので、その企業に都合の悪いニュースをわざわざ報道するメディアはないのじゃないかと思います。ウソは報道しないとしても、選んで報道するでしょう。

原発問題は古くて新しい。
これまでもいろんな場面で「危険性」が大きく取り上げられたけれど、喉元すぎると騒ぎは鎮まって話題に上らなくなる。
久しぶりに、『地球環境・読本』を取り出してみたら、もう25年前の出版なので紙も黄ばんでしまっていますが、内容は「何だ、今でもまったく変わっていないじゃないか」というものでした。

ネットを見ると、ヤフーのWebマガジンchargerの2007年の記事がすごくわかりやすいです。原発について反対意見と賛成意見の両方をわかりやすく載せています。
原発推進してきた人たちの考え方が、今の原発事故について考える上で非常に参考になります。

(2007年4月号)
原発問題研究者に聞いてみました
「日本の原子力発電って大丈夫なのか?」
http://promotion.yahoo.co.jp/charger/200704/contents05/theme05.php

(2007年5月号)
経済産業省に聞いてみました
「原子力発電のこと、ちゃんと教えて?」
http://promotion.yahoo.co.jp/charger/200705/contents07/theme07_02.php

経済産業省の話しはとてもわかりやすいので抜粋しますと、

ー引用ー

<Charger編集部:いつか大事故が起きるんじゃないかと不安なんですけど。>

<答え>原子力発電所では、事故を防ぎ安全を確保する上で重要な機能や機器は多重化されています。例えば、冷却水の循環が止まると炉内の除熱ができなくなってしまうので、ひとつの系統が壊れてもそれをカバーして冷却水を循環させる仕組みが用意されています。発電所周辺の住民のみなさんには、こうした機能も全て働かないといったあえて「過剰」な想定をした防災訓練にも参加していただいています。我々として不本意なのは、過剰な想定をした訓練を行うがために、逆に「そういう事態が起こるのではないか」という不安を抱いてしまう方もいることなんですね。

ー引用ここまでー

今回の原発事故はこの経済産業省の答えを見事にひっくり返してしまたことがはっきりわかります。「デマ」はこっちだ、と気づきます。
様々な報道のうち、どのくらい真実が入っているかは、私たち視聴者が考えていかなければなりません。

政府には、たとえパニックが起ころうと覚悟して、人々に真実を伝えるよう最大限の努力をしてもらいたいです。

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天災と原発の事故 [環境・自然]

津波の高さは「想定外」だったのか?
ウィキによると、今まで日本で起きた巨大津波は18世紀以降だけでかなりの回数あることがわかります。

1703年 元禄大地震
房総半島。津波高さ 8 メートル以上。20 メートルの地点もあり。犠牲者数千人。
1707年 宝永地震
津波は紀伊半島から九州までの太平洋岸から瀬戸内海にまで及ぶ。流失家屋 20,000 戸。
1771年 八重山地震
石垣島 死者不明者 12,000 人。津波の高さは 85 メートルとされてきたが、琉球大学らの研究では18m。
1854年 安政東海地震 - 12月
駿河湾から遠州灘を震源とする M8.4 の地震。房総で津波高さ 3 - 4 メートル。沼津から伊勢湾が被害甚大、死者 2,000 - 3,000 人。

1854年 安政南海地震 - 安政東海地震のわずか 32 時間後
紀伊半島南東沖一帯を震源とし同じく M8.4 という地震。紀伊半島から四国、九州のみならず大坂市内にまで壊滅的な被害。津波高さ串本で 15 メートル、死者数千人。

1896年 明治三陸地震
岩手県綾里 津波高さ 38.2 メートル - 死者不明者 22,000 人。
1923年 関東地震
津波の最大波高は熱海で 12 メートル。数百人が犠牲。

10m以上の津波が100年に3回はというのはかなりの頻度です。(18世紀に関東、紀伊から九州、八重島の3回、19世紀にも東海、南海、三陸の3回)

10m以上の津波が過去にもたくさんあったと言うと「えっ、そうなの」とみなおどろきます。「10mの津波は想定外だった」という言葉をそのまま受け取っている人が多い。
過去のデータを見ると今回のようなマグニチュード8〜9の大地震、大津波がまたすぐに起きてもまったく不思議はありません。

江戸時代は現代と比べれば人口もはるかに少なく、家屋は木と紙だけで造られ、家財道具もほとんどなく、それも木でできたものや布や布団くらい。木と紙だけでできた村や町はたやすく壊れるけれど、復旧も比較的簡単だったのではないかと思います。

地球環境を考えれば、文明が進む過程で、すでに人災は生まれたということになると思います。

地震・津波は大災害をもたらしたけれどこれは自然のなせるわざなので防ぎようもなく、人間にできるのは被害を最小限にくい止める位です。
東日本大震災は地震・津波という大災害に見舞われた上、原子力発電所の崩壊(と言っていいと思います)という大惨事を引き起こしました。一度制御不能となった原発がこれからどうなるのか、報道を見ているとどこかもどかしい。
「危険性」について一応報道はしているけれどそれが「どれほどの危険性を持つか」「今どれほどの危険に直面しているか」はどうも伝わってきません。

国民はなんとなくはっきりしないままの状態に置かれ、いつかこういう状態にも慣れて、そのうち日常にまぎれてしまう、こういうことを当局は考えているのではないか、と思えてきます。
それもこれも福島第一原発がこれからどうなるのか、にかかっているのですが。

被害を少しでもくい止めようと、危険を覚悟で必死で作業をしている人たち。その人たちに感謝します、と言って彼らの犠牲にあぐらをかいて「安心、安全、便利」を手に入れることはものすごく卑怯なのではないか、原発をやめるところまでいかないといけないのではないかと思います。

原発の事故も、さる人が言っていたように「天罰」かもしれませんんね。こういうものを作ったことに対する「天罰」かな。「天罰」なら無関係の人や子供の上にはどうか下らないでほしいです。

(3月20日 地震から10日目)
新たに2名の人が救助されたというニュースが入った。
やはり救助がおそかったのではないか、救助を待つ間にどれほどの人命が失われたかと思うと本当に無念だ。今だってまだ生存者はいるかもしれない。
被災地があまりに広すぎて、救助・支援の人手が圧倒的に足りなかったとしか思えない。現地では精一杯の救助や支援をしているのだと思うが、地震と津波に加えて原発事故という大緊急事態が起こり、そちらに膨大なエネルギーをつぎこまなければならいことが悲劇を増幅させた。

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救助・支援について [環境・自然]

(3月17日)
東日本大震災の被害はあまりにも甚大で深刻で、そのせいなのか救助作業は非常に遅い感じがする。
「水、食料、医薬品、毛布が足りない」「灯油、ガソリンが手に入らない」という被災者の声が毎日報道されている。依然として多数の住民の安否が不明なままだ。

地面の上を行く事は難しいとしても、ヘリコプターで探せるのじゃないか、ヘリコプターで近くに降りて探せないのか、水や食料や毛布をヘリコプターから投下しないのか、とずっと思っていた。
日本の法律ではヘリコプターから物を投下するのは禁じられていると、今日(3月17日)初めて知った。狭い国土だから危険性を考えての法律なのだろうか。でも緊急時は、など考えていたら、報道者が「法律で決められているのです」と一言述べたきりでさっとほかの話題に移ってしまったのでよくわからないままだった。

毎日テレビ各局で被災者の方の訴え、「水がない、食料がない、医薬品がない、灯油がない、ガソリンがない」と報道するので、見ているほうもあせるのだが、何をしてあげられるのかわからない。募金はできるけれど、食料、水をどうやって届けたらいいのか。灯油、ガソリンについてはどうすることもできない。

政府も救助隊も一生懸命やっているんだろうな、とは思うのだが、救助・支援が遅れているように見える。
今日やっと、輸送手段がむずかしい、と報道されていた。難しいのだろうなとは思っていたが、どう難しいのかをもっと早く知らせてほしい。
報道関係者がいて被災地の声をテレビで報道している場所になぜ物資が届かないのか。
何が支援の障害になっているのか。マスコミは「被災地からの訴え」だけを報道し、なぜ物資が届かないかということについては具体的に報道していなかった。
支援を呼びかけるのは大切だけど、訴えを流しているだけでは何も進まない。私たちが知りたいのは具体的に何をどんなふうに協力できるか、ということだ。

地震の2日後、被災していない私の住む地域のスーパーマーケットやコンビにからパンなどの食料が消え始めたと知人が言う。
「どうしてパンがなくなるの?」と尋ねると「被災地に送っているからじゃないの」と知人が答えた。(そんなはずないでしょう!?)
確かにスーパーに行ってみたらパンやインスタントラーメンや缶詰や牛乳が消えていた。そういえば牛乳は前の日もなくて変だと思った。牛乳なんていろんな銘柄のがいつもずらりと並んでいるものだ。災害を見て不安感が増したのだろうか。
そう思っていたら、牛乳の紙パックの何割かが宮城の工場で作られていて、被災のために工場がストップしたためと、これも今日初めて知った。
こういう説明がないから、消費者はいっそう不安にかられ残り少ない物を飼おうとする。私は牛乳は切らしたことがないので、いつもの習慣が変わるのはなんとなく気になって、スーパーで「牛乳がなくなる理由って何かあるんでしょうか?」と聞いた。「さあ、どうなんでしょうかねぇ」と若い店員の返事。
パンは停電で料理ができないときのための物だろうか。停電というのは今の時代めったにないので、停電したら何と何がないとだめ、ということが私はぱっとひらめかない。それに停電といっても3時間ほどのことなので暇人の私にはどうという事はないのである。(仕事で車を使ったり、電車で遠くまで通勤している人はとても大変でしょう。)

これまでも経済不安が大きくなったときに店頭から品物がなくなるということはたびたび起こった。トイレットペーパーが消えたり、米が消えたり。
被災地に送っているからパンがなくなる、なんて考える人はすごく良心的だと言える。

計画停電が始まり、電気水道の心配をするようになり、それはそれでいいのだが、理由もなくある品物が店頭からなくなるというのは気持ちが悪い。菅首相が「被災地で灯油やガソリンが不足しています。買いだめをしないで下さい。」と言っていたが、ガソリンや灯油を買いだめするなんてことができるのだろうか。
(この緊急事態に買いだめをしているようだったら「差し押さえ」すべきだ。)

また福島原発事故の影響を恐れて輸送をやめてしまう、と報道されていた。こんな緊急事態に民間任せということはないだろう、とまた不思議になる。

県ごとに支援物資をまとめるというのは合理的なアイディアだと思うが、県へ問い合わせるのではなく、県から「お知らせ」を市町村に流せばいいと思う。
こういう問い合わせの電話はほとんど通じない状態だからだ。
計画停電のグループ分けもはっきりしない部分がありいくら調べてもファイルが開かない、やっと見つかったらいろんなグループに入っていてわからない。終に電話したらまったく通じないという状態で、結局わからないという結論に達するまでに、かなり時間を浪費した。
スピーディに処理するためには情報の流れをスムーズにすることが一番大事だと思う。
ほんの100年前だったら、こんなに情報に頼らずに、何も気にせずのんびり暮らしていけたのだろうな、と思う。ただし迷信迷妄もその分多かっただろう。

一方通行の報道をやめ、被災地の状況、それに対する救助や支援の様子、問題点をきちんと報道してほしい、と思っていたら、ようやくテレビで「支援物資の受付について」をやっていた。地震から6日目。
どうしてもこのぐらいの時間はかかってしまうのだろうか。

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