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原発事故を考える [環境・自然]

津波で町が根こそぎ流されて3万もの人の命が奪われ、それだけでも到底受け入れがたいことなのだが、その上に原発事故。放射能に汚染された水がもう何日間も海に流れているという事態。これは本当につらい。
遠く離れた場所にいる人間でもこんなにつらいのだから、被災地の方々の悲嘆は計り知れない。

汚染水の放射能数値は東京の4300倍になるとか、原発建屋の回りは1000ミリシーベルト以上を超えている(針が振り切れてしまい、もう何千ミリシーベルトかわからない)とか、だんだんそういうニュースに感覚がマヒしていく。
とんでもないことをさりげない口調で告げられると、受け取る方も「ふ〜ん、困ったな。大変だな。」とあまり感情をまじえずに聞いている人が多い。
でも、これは異常な事態なのだ。

汚染水がもれているピットのひびわれをなんとか改修しようとしている。そしてこの汚染水をこれ以上海に垂れ流さないために、今、放射性排水を処理する施設内にある1万トンと、5、6号機の地下水1500トンの低レベルの汚染水を海に流すそうだ。低レベル汚染水は海の生物への影響(つまりそれを食べる人間への影響)はそれほどではないという。それでも汚染水なのである。
NHKの解説者も「低レベルと言っても通常は絶対に海に流してはいけない水です」と言っていた。

報道がきちんと行われているかどうかはすごく重要な問題なのだが、これまでに報道された事実だけでも原発事故のひどさはわかる。
原発事故の収束へのステップ、として、NHKが報道していた。
それによると、
フェーズ1 非常事態の回避:冷却と閉じ込め
      数週間〜数ヶ月
フェーズ2 長期的な安全の確認:リスクの管理
      半年〜1年
フェーズ3 廃炉:解体  除染  封じ込め
      10年以上

だそうだ。多分少なく見てもこうなのだ。

毎日新聞にチェルノブイリの現状が載っていた。1986年のチェルノブイリ原発事故では爆発した原発機をコンクリートで固めて石棺にした。事故直後の半年間の突貫工事に60万人が作業員として動員され、多くの人が被爆し死者も多数出た。周辺半径30kmはずっと立ち入り禁止だった。しかも25年経ってコンクリートの腐食が進み現在は亀裂から放射性物質が漏れている状態。石棺全体を覆う金属製のシェルターの建設を計画中だそうだ。完成すると100年間は原子炉を「封印」できる(予定)。建設費は約1800億円。
原発は一度事故を起こしたらおしまいなのだ、と感じる。

NHKのETV特集で「原発災害の地にて」という番組を見た。
玄侑宗久と吉岡忍の対談、原発被災で避難された方への吉岡氏のインタビューだった。吉岡氏は放射線測定器を持ちながら被災地に入っていた。(測定器の針が一番上の目盛に振れてしまっていた。)
「原発のことを今どう感じていますか?』という問いかけに、
「自分はもともと反対だった。住民の半分は反対だったと思う。」

また「あまり反対の声は出てこなかったように思うのですが」という問いに、

「上からつぶされた。反対したのは年寄りと、若い人と女の人だった。年寄りは原爆の怖さを知っているから。中間層の7、8割は電力会社で働いていた。自分が働いている所に反対意見を言うのはできないよ。」

年配の男性が、
「いつかは爆発すると思っていたよ。まさか自分の代にそうなるとは思っていなかったけど。」
「安全だ、安全だと言われてきたんだから。」

安全信仰には、どんなことに関しても言えることなのだが、「すぐに危険が来るわけではない」「まさか私がそうなるとは思わない」と、どこか自分と切り離してしまうもののような気がする。
そう納得させて目の前の問題だけをなんとか乗り越えようとする。被災された方も「原発のおかげで町が豊かになったのは事実だった。」と語っていた。

「人の死は回りを変える。この国は変わると思いますよ。」との玄侑氏の言葉が人々のこの災害に対する受け止め方の方向を示しているような気がした。

気になった事が一つ。
「こういうときにあまり批判すべきではないというのが一般的だと思いますが、原発事故は今、現在進行中。(この事故の方向を)良い方へ向けるためには発言しなければと思う。」とわざわざ玄侑氏が述べたこと。

何か重大な事件や事故が起きたときに、一生懸命取り組んでいる当事者を批判すべきではない、という考えがいつどこから生まれたのか不思議だ。
原発への批判は作業をしている人たちへの批判ではない。
ある事件でワ〜っとマスコミが騒ぎ立て、みんなが「○○が悪い」と言い出すのは確かに見苦しい。でも、日本はむしろ逆の傾向があるのに、と私は感じている。
学校で教員による体罰事件やセクハラ事件が起きても、まわりの教員がその問題を騒ぎ立てないようにしてしまう。問題にしようとする人間は村八分になる雰囲気がある。
まずい問題をことさら言い立てるべきではない、無難に終わらせようという姿勢は、日本人の体質の中に深く染み付いている。
そうやって戦争に対しても責任の所在を追求しきれないまま終わったのではないか。

「原発は無理」という主張を誰に遠慮することがあるだろう。
まともなことを言うのにブレーキをかけるなんてまったくおかしい。
ブレーキをかけずに人々がめちゃくちゃに批判した事件がある。イラクで日本人が誘拐されたとき。安否を心配するより、多くの人が「自己責任だ」と責め立てた。あんなに不愉快だったことはない。
つまりは、日本人は、弱い者を批判するのだ。原発みたいに日本経済の中心にいるようなものに対しては批判はしないのだ。

せめて日本だけでも原発はやめる方向に行ってほしい。海に囲まれたこんなに狭い地震国に原発はどう考えても無謀だと思う。

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コメント 3

jmh

全く同感です。原発も、ダムも、基地も、ときの権力とそれを支える人々の都合で推し進められ、なにか「コト」があったときに被害を被るのはそれらを進める力も、止める力も持つことのなかった民なのでしょう。
今回の原発事故の状況が明らかになるにつれ、国の原子力政策のずさんさが見えてきて、怒りと恐怖を感じます。
by jmh (2011-04-04 23:38) 

ayu15

インプット・アウトプットの法則 http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2011-04-04に疑問点の一部を書いてみました。

いま大騒ぎで、そのうちどこえやらというおちはどうかなあと・・・。

今ならCO2削減が鈍ってもフクシマといえば世界も理解してくれるかもしれません。

添加物に放射能なんて笑い話にもならないように思うんです。
by ayu15 (2011-04-05 12:09) 

tamara

電力会社の隠蔽体質について海外で問題視されているようですが、NHKの発表だけでも十分深刻な状況だとわかります。こんなに大事故が起きてなお、何も変わらないとしたら、それは絶望だと思います。
by tamara (2011-04-05 18:55) 

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