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福島第一原発の事故 [環境・自然]

(3月16日 地震から5日目)
地震と巨大津波でいくつもの町が壊滅状態という大惨事となったが、それに加えて福島第一原発の事故も地震直後から事態はどんどん深刻になっている。
1号機から4号機のすべてが大きなトラブルを引き起こし、今日は白煙を上げる3号機の建屋にヘリコプターで海水をかけようとしたが、放射線の数値が高くて危険なため、ヘリコプターも近づけなかった。

こういう事故を目の当たりにして、原発の怖さをあらためて思い知らされている。普段身近なところにないものは、つい頭の片隅に押し込んで忘れていることが多い。なさけないけど。
原発の怖さというのはあまり宣伝されていないから(むしろ安全だと言う宣伝の方が大きい)、一般には放射線は怖いという程度の知識しかなくて、原発が必要だと言われれば「仕方がない、安全性を約束してくれるなら受け入れましょう」となる。
よく考えれば100%安全なものなどは、科学的に考えてもあり得ないことなのだが、いよいよこうなって初めて、こんなことになってしまったか、とみな茫然自失となる。

周辺部の放射線が一時間に10ミリシーベルトを超えた。
一年間に許容される放射線の目安は1ミリシーベルト。
一時間に10ミリシーベルトは6分で1ミリシーベルト、つまり6分間で一年分の放射線を浴びてしまうことになる。

これでは作業困難なはずである。近づくだけで6分間は過ぎてしまう。
作業の人が着る「防護服」というのも、どうも「あれを着ていれば安全なんだな」と見る者に思わせてしまう。よく考えれば「防護服」で放射線を防げるわけはなく、それだからこそ放射線なのだ。胸のレントゲン撮影も着衣の上からできる。本当に遮断しようとするならば100キロの重さの服になるという。それでも完全な被爆遮断はできないそうだ。

ちなみに胸のレントゲン撮影では浴びる放射線は0.05ミリシーベルトだそうだ。もっともレントゲン撮影は数秒間のことだ。何分も何時間も続けてやるわけではない。
また原発の作業員の許容量は50ミリシーベルト、自衛隊員は100ミリシーベルトと高い数値になっている。

放射線を浴びたかもしれない場合は、よく身体を洗う、着ていた服をビニールの袋に入れて口を閉じる、だそうだ。身体を洗い流したときの水はどうするのか、ビニール袋に入れた衣類はどうすればいいのか。
結局、水に流すこともゴミとして燃すこともできないのが放射線なのだ。これは本当に怖い話しだと思う。それとも少しぐらいなら(付着した放射線量が少なければ)どこかに流したり捨てたりしてもいいのだろうか。
癌で放射線治療を受けている従兄弟がいて、治療室で長い時間をつぶすのに新聞持ち込み許可を得ている。その新聞は治療後はビニール袋に密封されて放射性物質として取り扱われる。本当はもっとたくさん本を持ち込みたいのだけれど、放射性物質が増えるから遠慮して我慢しているのだと従兄弟の親(つまり私の叔母さん)が言っていた。

福島原発の周辺部に住む方々はものすごく不安なことだろう。テレビでも正確な情報が必要だと盛んに言いはじめている。
ときどき放射線測定値が報じられるが、一日の発表回数が少なすぎる。
周辺部のいろいろな場所における一時間ごとの数値を発表してほしい。

情報を小出しにするのは「パニックを抑えるため」ということも言われた。
これはおかしい。多少のパニックが起きるのはやむを得ないことなのだ。もし自分がそこにいたらどうか、ということを考えてみればわかる。正確な情報を毎時間詳しく知りたい。危険を知らずに過ごしたくはないからだ。

測定も、同じ地点で同じ時刻で複数やってほしい。アメリカの救助隊は自分たちも独自に測定を行うと言っている。できれば私も自分でやりたいくらいだ。何事も自分の目で確かめるのが一番なのだ。確かめるすべがないのだから情報はきちんと正確に知らせてもらわなければ困る。

決して消えないというのが怖い。放射線数値が下がったということはつまり、広がって薄まったということなのであって、消えてなくなったということではないのだから。
放射性物質を含んだ雨が降ったら、誰でもすごく困るのだ。

17日になって、作業員の放射線許容量は250ミリシーベルトに変更された。つまりは作業員にはそのぐらいの危険は覚悟してもらいたいということで、本当にひどい状況だ。
ヘリコプターから海水をる作業と地上からの放水作業が始まった。
冷却装置を復旧させようとしているらしいがヘリコプターでも近づけない場所で工事なんかできるのだろうか。

これ以上深刻な事態にならないことを願うばかり。

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東北関東大震災 [環境・自然]

尋常ではない地震の揺れだった。3月11日の地震発生時、埼玉県の中央部あたりの平屋の建物の中にいて、あまりの揺れの大きさに、地震には慣れているはずの私も外に飛び出した。
回りはかなり広い平坦な場所、これなら建物倒壊による被害も受けないですむと思えたが、立っていられない。地面に座った方が怖くないかと思って芝生の上に座ってみた。地面が揺れ動いているのを直接強く感じてよけい怖く、半分起き上がった。
すぐ近くの木の枝で小鳥が二羽遊んでいるのが目に入り、「鳥はいいな〜」と思わず考えていた。
道路状態を気にしつつ家に帰ってみたら、高い場所に置いてあったものが落ちていた位で被害はなく、猫も無事。
電話もメールも誰ともつながらなず頼りない思いでいたら、スリランカの知人から「大丈夫ですか」とメールが入った。

それから二日間ず〜っとテレビで地震のニュース報道を見てぐったりしている。地震のとき棚から落ちた写真立てなど、片付ける気力もなく部屋のすみっこに置いたまま。
テレビで見る地震津波の映像は、人の身体からエネルギーというものを吸い取ってしまうようだった。
天災について人々がよく使う言葉、「天罰」だとか「地球が怒っている」とかいう表現をふきとばすような、ただただ淡々と恐ろしい光景。

津波映像の中に、津波が街に侵入してくるときのヴィデオ映像があった。津波の先っぽはわりと穏やかで、せいぜい踝がぬれるほどの波であるように見えるのが不思議だった。
そういう波が、するすると街の中を進んで来る。
ヴィデオにはそこに居た人々の「わっ、すごい!」などという声も入っている。
それはまるで、波打ち際で子供がする遊び、波にできるだけ近づいて足をぬらさずに波から逃げる遊び、を思い出させるような一種無邪気な風景だった。
でもまるで戯れるかのように進んで来る波の先っぽに続いている後方の波は山のように盛り上がっていて、あっという間に何もかも呑み込んでいった。
その光景にヴィデオの人々の声は消えシンと静まり返ってしまう。
まるで誇張して作られたアニメーションのような波だった。

死者行方不明者は一万人以上になりそうだと言う。
何百人という遺体が砂浜で発見されたと聞いたとき、津波は嘆かれる者も嘆く者も一緒に運んで行ってしまったのだ、と感じ愕然とした。
ただ黙って画面を見ているしかなかった。

地震津波によって福島原子力発電所の冷却装置が働かなくなり、放射性物質漏れが起き、とうとう国内初の炉心溶融が起こり、建屋が爆発し、住民に避難指示が出た。最初は半径3km以内の住民対象で、それはすぐに10km以内、20km以内へと変更された。作業員が被爆したらしい、という報道があった。「命に別状はない」という、人をバカにしたような説明があった。
避難する人々に口をタオルやハンカチで覆いなるべく皮膚を露出しないように、との注意もあった。こういうまさかのときの逃げ方は前もって教えられていたのだろうか。いざバスに乗っても避難場所が決まらない…原発を建てたときに決めておかなかったのだろうか? 避難している人は20万人だそうだ。
「まさかこんなに大きな地震津波が起きるとは思わなかった」などと、これが専門家としての発言なのだろうか。

二日たって被災者の様子が報道され始めた。「何もかもなくしたけれど生きていただけでもよかった」「孫の遺体を発見できた。それだけでいい」被災者の声はあまりにもつらい。一人きりで、まるで焼け野原のような町跡を家族を捜す姿には言葉も見つからない。

どこから手をつけてよいのかわからないほどに壊滅した被災地。本格的な救助作業はまだ始まったばかり。これから大変な復旧作業が始まるだろう。何年かかるかわからない。
初めてこんなにもはっきりと見た津波の映像に、なぜか現実感が伴わない。「悪夢のような」そう、まるで「悪夢」そのものだった。

地球とその上に住む人間との関係とは、なんと奇妙なものであることだろう。

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雪の話 [環境・自然]

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今年も地方によって積雪は厳しいようです。
覚悟して田舎に帰ったら雪はほとんどなくとても楽な正月でした。同じ長野県北信地方でも雪が多い所と多くない所がかなりはっきりしています。15km離れた場所でまったく違います。
だから天気予報は大雑把すぎてあまり役に立ちません。

子供の頃は毎年雪が降るのをまだかまだかと待ちあぐねていたものですが、同時に「雪は怖い」「雪は大変」という意識もしっかりありました。
雪の重みというのは大変なもので、大きな木が折れ曲がり家が壊れるほど。屋根の雪下ろしをしなければならないけれどそれはかなり危険を伴う作業と、子供心に思っていました。実際雪下ろしで屋根からすべり落ちて亡くなる、というニュースはとても身近でした。

また「吹雪」というのはとても怖いもので、山の中で吹雪に遭うと山小屋から100mの場所遭難することもある、などという話もよく聞きました。夢中になってスキーをしていてふと気がつくと、ちらちら舞っていた雪が激しくなっている。寒さに手足はかじかみ、顔も凍りつくように痛く、何よりも視界が悪く早く帰らなければという不安とあせりの気持ち、今でも鮮やかによみがえります。

雪の危険さというのは、経験してみないとわかりません。雪の中で暮らしている中で、大人たちから繰り返し「雪の大変さ」を聞かされ、自然に注意深くなるのです。
雪道はどう歩けばいいか、これも子供の頃に覚えます。
すべって転ばないようにとても慎重になります。(すべってころぶのは頭部を打ったりして非常に危険)雪道はちょっと見ただけでは凍っているのか、すべるのかすべらないのか、わかるものではありません。石橋をたたいて渡る気持ちで、時々、靴底をすべらせて確かめながら歩かないと。うすく積もった新雪の下がカチカチに凍っているかもしれません。
都会で売っている暖かそうなブーツは雪道にまったく役に立たないことが多いです。ブーツなんだから雪にも対応できると思ったらとんでもない。ちなみに雪の多い地方では雪道用に滑り止めがついた運動靴を売っています。

それにしてもよくすべること。この雪道を車で走るのはやはり相当危険です。陽が良く当たる場所は大丈夫でも日陰はカチカチに凍っていることがある。雪道に慣れている人でも危険なので、初めて雪道を走るというドライバーはくれぐれも用心を!自分だけ気をつけても他の車がスピンして立ち往生してしまったらどうにもなりません。
それから道路の端に雪が寄せられるから道幅が狭くなり、歩道などなかった田舎道は車と人がすれちがうこともできない。車をよけるために人は雪の中に膝まで(子供だったら腰です)入らなければなりません。
道幅のせまい地域では除雪車が入ると雪が脇に積み重なりよけい道が狭くなるため除雪をしないことにしたそうです。雪の上を踏み固め、暖かくなるのを待つしかありません。

さてそれほどの大雪でなければ雪に覆われた世界というのは本当に素晴らしい。
青空にまぶしく光る白一色の世界。雪の中の散歩は身体がひきしまり気持ちがいい。しんしんと冷える夜空に天の川が見え、冬枯れの立ち木の枝の間にたくさんの星がまたたいて、クリスマスツリーよりずっときれいだな〜と、当たり前のことをつい思ったりするのです。

IMGP0115.jpg樅の木の新芽
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木がきらいな人 [環境・自然]

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私の住む集合住宅では何年かに一度、樹木の剪定と伐採が行われる。
山も川も海もない、交通不便で道路に車が多いこの地域で、唯一心の拠り所になるのが樹木が多いことである。多いといったって私に言わせればまだまだ少ない。早く樹木が大きくうっそうとなってほしいと思っているのだが、この選定、伐採期にかなりばっさばっさと切られてしまい、悲しくなる。
それでなくても、周辺に以前はあちこちにあった田畑や林なども、どんどん道路が出来、家が建ちという具合でみどりの部分は激減してしまっている。

人の住む場所に樹木があるというのは万人が賛成だろうと思っていたが、そうではないことを最近知って驚いた。
「まだ剪定が必要な大きさじゃないのでは?」「なるべく木を切らずに残してほしい」ということを要望として伝えたら、逆の考えの人もいるから、と言われた。
「え、そうなんですか」と私は驚いた。
木の伐採理由は主に、「樹液が木陰の駐輪場や駐車場の車、自転車を汚す」というものだった。一階に住む人達からは「うっとうしい」という声もあるそうだ。
もちろん部屋が暗くなるほど木がうっそうとしているわけではない。

木がきらいな人がいるとは想像もしたことがなかった。
木があれば確かに樹液や花粉が落ちるし、落ち葉も出る。虫もいるし鳥も来る。それでも、木があるおかげで、夏は、かんかん照りの町並みに比べ2℃ぐらいも涼しく、木陰に置いた車も乗り込むときにずいぶんとちがう。車が汚れたってまったく気にならなかった。でも車や自転車が汚れて困るという苦情が寄せられるのだそうだ。
何よりも木の葉の緑を眺めているだけですがすがしい気持ちになれる、と思っていたけれど、それはみんなではなかった!

私以外にも、木の剪定や伐採についてはもう少しみんなで相談してからにしてほしいという人もいたのだが、結局は、ばっさりと伐られてしまった。

こういうときにいつも感じることだが、「自然を残しましょう」という意見はたいてい逆の意見に負けてしまうのである。
樹液や花粉で車が汚れるとか、部屋が暗くなる、とかいった具体的な苦情には「木があると心が癒される」「温暖化防止になっている」などの抽象的な意見はまったくかなわないのである。しかも、苦情はかなり強い意見として発せられるのに対して、「木をこのままにしておきましょう」という人はあまり強い主張もしないで「残してほしいわねぇ」とおっとり言うだけで積極的に「木を伐るのは反対」などと、強い主張はしないものである。

それで何年かに一度、いつも木はみっともないくらい短くされてしまう。もっと高いままにしておいて剪定すると剪定料も高くなるのだそうだ。落ち葉の処理が面倒だからと、紅葉を楽しんでいる最中にばっさり伐られて唖然とする。

近くの神社に立派な大銀杏があって、黄葉はそれは見事なのだが、あるときその大銀杏が伐られようとしていた。たまたま通りかかった人が「このイチョウ伐っちゃうんですか?」と神社の人に聞いたら、「じゃまだからね。」という返事だったそうだ。「イチョウの黄葉毎年楽しみにしていたんですよ」とその人は言って帰ってきた。しばらくして行ってみたら、大銀杏は伐られずに残っていたそうだ。

確かに、自分の家の庭に木があるとけっこう手がかかるものだ。たまには剪定しなければならない、落ち葉の処理、虫がつくことがある、とか・・・要するにある程度手がかかるし、費用もかかる。なんと言っても日本は狭いから、木の枝が隣の家の垣根を越えて伸びては困るのだろう。神社の大銀杏も手がかかり、費用もかかるのだろう。

木を育てるというのはかなり積極的な意思がないとむずかしいようだ。
田舎の私の叔母なども木を目の敵にしていて、木は大きくなると困るから伐ってしまえ、とうるさいこと。ふだん山に囲まれて里山の風景はそれなりに楽しんでいるはずだが、庭木についてはすごく冷たい感覚を持っているようだ。

こういう人と木の話をしても意見は絶対に一致しないものである。
庭木一本でも一致しないのだから、ダムや湾や川や海などといった大きな話は一致するはずがない、とあきらめるようになった。
車に樹液や花粉がついて迷惑だ、と感じる人に、一体何を言えば良いだろう。「自然を大切にしましょう。」などと言っても空々しく聞こえるだけだろう。「木がないと淋しくて生きていけません。」などと言っても理解してもらえないだろう。
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いつの間にか秋 [環境・自然]

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世の中あわただしくて何やかやといろんな事があり、あきれてぼーっとしている間に秋になっていました。夏の異常な暑さのせいで野菜が不出来とか、値段も上がっています。
ところが山ではキノコや栗がどっさり採れ、ぼんやり歩いていても目についてしまう位です。
去年は落ちていなかった所に山栗の実がどっさり落ちていました。
小さいのでリスの餌にでもしようかと拾って持ち帰り、試しにゆでてみたらすごくおいしい。スーパーなどで売っている大きな栗より味が濃く甘い。

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ポケットいっぱいに持ち帰ったらこんなにありました。
難点は食べ始めるときりがなくなること。なんせ小さいから口に入れ咬んで食べるのが一番なのですが、ついつい夢中になって食べてしまいます。

拾いきれないほど落ちていて、翌日もまたその翌日も拾いに行きました。こんなに夢中になって拾っていたら熊が近づいてもわからないかも知れない、と時々辺りをきょろきょろ。別に山菜採りのように茂みの中に分け入って拾うのではなく、ただ栗の木の下で虫食いの栗を選り分けながら拾うだけなのですが、シーンとしているので不安になります。今年は熊の出没件数も多いそうですが、山の中は、熊は餌には困らないのではないかと思い、ちょっと不思議です。

毒キノコも話題になりますが、林の中はまるで目立たない茶色っぽい花が咲いているようにキノコがいっぱいです。食べられないキノコがほとんどですが、こうして林の湿った地面ににょきにょき姿を出しているのを見るのは楽しいです。

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ライブラリ - 8966.jpgハナイグチ
このキノコはおいしく頂きました。秋はきのこ鍋が最高です。
いい季節だな〜と感じる10月です。

夏の間つけっぱなしだった野鳥の巣箱をやっとはずしてきれいにしました。中身はとても立派な、コケ類や動物の毛などでできたふわふわのベッドでした。厚さ5cm近くあります。

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巣箱はまた来年取り付けます。
餌台にヒマワリの種を置いておくと、ゴジュウガラ、コガラ、シジュウカラ、ヤマガラ、がぶんぶん飛んで来るようになりました。人がいようといまいとおかまいなしに飛び回る小さな客人のためにせっせとヒマワリを買っています。

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山道の散歩が大好きなロン。うちの犬ではありませんがよく散歩に連れて行きます。坂道を引っ張ってくれるので楽ができます。茂みの中に獣の臭いをかぎつけてそこらじゅうに鼻をつっこむので顔中バカの実をつけて満足げ。
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野鳥観察(4)〜巣立ち〜 [環境・自然]

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巣穴から顔を出しているヒガラの雛

6月15日、朝7時50分頃、東側の窓の近くの白樺の木の巣箱からシジュウカラが出てきた。すぐ後にもう一羽飛び出してきたので、親鳥が二羽入っていたのかな、と思っていると、三羽めが! 「巣立ちだ」と思って目を凝らして見るうち、四羽、五羽、と次々に飛び出してきた。みな一斉に斜め上方に飛んで行って、どうも家の屋根にいったん止まるらしい。
巣立ちの日に居合わせるなんて本当にラッキー。

南側のアカマツの樹の巣箱もそろそろかと思っていたら、まさに同じ日の朝10時頃から巣立ちが始まった。
今日の天気予報は曇り時々雨、だったけれど、このときは曇り空の合間をぬうように陽光が木立に差しこんでいた。天気も関係あるのかな。
さてアカマツの巣箱はヒガラで、全員飛び立つまでに4時間もかかった。

途中、どうしても飛べない子がいて巣穴の所で固まってしまった。じっと外の世界を見るだけで動けないでいる。10分も固まっていてあきらめて中にもう一回入ってしまった。次に出てきたのは、別のヒナだった。ヒナの顔は双眼鏡で見ても、一羽一羽ちがうのがわかる。

親鳥も餌を運んで来てヒナを呼び、あげるのかと思うとくるっと顔を別の方向に向けてしまい、近くの木に飛び移る。ヒナが飛び出すのを促しているのだ。
何度も繰り返し、それでもヒナが出て来ないとあきらめて餌を与えていた。こんな感じで4時間かかった。
終わりの方の飛び出しは早かった。一羽、また一羽と15分ぐらいの間に六羽続けて飛び出した。数えただけでも10羽いたので、ヒナの数は10羽以上いたのかもしれない。

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ヒナに餌を見せる
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「あげないよ〜」

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「どうしたの? 餌、ちょうだい!ちょうだい!」

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固まってしまったヒナ、葛藤していたのだろうか。

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「よし出るぞ」と翼を巣穴の外に。「ヨッコラショっと」

ヒナがみんな巣立ってしまって気が抜けてしまった。なんだか淋しい。

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みんな飛び立ってしまった後の巣箱(斜め上から)

こけや何かの毛が敷いてあって毛布みたい。
それにしても狭い。端切れの木材で作ったものだから床面積がかなり小さかった。ここに10数羽いたなんて。親鳥も大変だったろう。雨の夜寒いんじゃないかと気になっていたが、ここでギューギュー詰めでは暖かかったろう。
巣箱の中は毛布(?)が残されていただけで、卵の殻や糞などすべてきれいに片づいていた。さすが「立つ鳥、跡を濁さず」
こんな狭い所にいて飛ぶ練習もしないでいきなり飛べてしまうのにも驚いた。

巣立ちは淋しいが、でも巣箱はもう一つある。この巣箱は前回気が付かずにうっかり開けてしまい、卵の写真を撮らせてもらったのだが、他の二つの巣箱よりおそかったのか、何の動きもなかった。巣立ちの翌日(6月16日)、その巣箱にシジュウカラの親が餌を運びだした。他の巣に比べ二週間遅れ。まだまだ楽しみは続くってことだ。
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野鳥観察(3)〜子育て〜 [環境・自然]

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6月2日 ヒガラがくわえているのは蜘蛛と何かの幼虫

5月24日頃に巣箱に長時間小鳥が入っているので抱卵を確信したが、それから10日経って雛がかえったようだ。
巣箱への出入りが頻繁になり、虫をくわえて運ぶヒガラの写真が撮れた。くちばしに3つくらい餌をくわえて運んでいる。二羽が交代で運ぶので回数はかなり多く、10分間観察しているだけで何度も見ることができる。
餌を運ぶ親鳥はまず巣箱の前の小枝に止まり、用心深く回りをぐるっと見てから巣に入る。抱卵のときは近くの木から飛んできて一気に巣穴に飛びこんでいたが、雛がいるため用心深くなっているらしい。
巣箱に近づくとシューという音が混じった警戒の鳴き声を発する。

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今回取り付けた巣箱は3つ。2つの巣箱は親鳥が忙しく餌をはこんでいるので雛がかえったことがわかったが、3番目の巣箱にあまり動きがない。巣箱の回りに他の木がなくむきだしなので嫌われたかと思い、巣箱の位置を変えようとした。ところが巣箱の中を見たら何と卵が7つ。シジュウカラの卵のよう。あわてて巣箱から離れた。近くで鳴いていたのが親鳥だったか。
もしかすると人間がはしごをかけて巣箱をのぞいたりしたので、巣を放棄するかもしれない、と心配になり、しばらく観察をしていた。
じっと見ること3、40分、親鳥が巣に飛びこみ一安心した。良かった。

こんな巣箱でも気に入ってくれたのだな、と感激した。
巣箱をのぞいたついでに写真を撮った。本当に上手く作られている。

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バランスが取れていてフワフワの何かの毛がしいてある。
あと10日ほどで巣立ちだろうか。その場に居合わせたいものだけど。
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野鳥観察(2)〜巣作り〜 [環境・自然]

ライブラリ - 8293.jpg5月5日撮影

鳥が餌台に集まって来るのは11月から4月末まで。5月となれば寒い山も一気に春の気配が押し寄せあっという間に木の芽が出て、小虫がたくさん姿を現すため、人間が作った餌台はそれほど必要なくなってしまう。
その代わり、巣作りが始まるのでうまくいくと子育てが見られるかも。というわけでさっそく巣箱を作って3カ所の木に取り付けてみた。

入居者は来るのかなあと半信半疑で見ていたら、すぐに次々と様子を見にやってきた。鳥って本当に目がいい。餌台の小さな餌が見えるし、新しい物は見逃さない。けっこう好奇心があるのかも知れない。写真の巣箱はシジュウカラが真っ先に見に来たけれど、入居したのはヒガラだった。シジュウカラは隣の巣箱にしたらしい。
ヒガラは冬の間は顔を見せなかった。暖かくなって山に上って来たのだろう。
つがいで来て何度も出入りしていたが、そのうち一羽が巣箱に入って出てこない。いくら待っても出てこない。これは、卵を温めているのだろう、と思った。たまに飛び出してきて巣箱が留守になることもある。卵を温めるのはメスだけだそうだ。

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巣箱をのぞいて、中に入っていくヒガラ

観察しているとヒガラが占有した巣箱を他の鳥(例えばシジュウカラ)がのぞきに来ることがある。そんなときはどこからともなくサッとヒガラだ飛んで来て追い払う。(この戦いの様子は写真には撮れなかった。)近くの木の上で巣箱を監視しているようだ。
12〜14日で卵がかえり、14〜16日ほどで巣立ちだというので、今から楽しみにしている。餌を運ぶ姿が見られるだろうし、ヒナの鳴き声も聞けるかもしれない。

冬場いろいろな鳥で賑わっていた餌台にはリスがやってきている。鳥も時々来るけど朝っぱらからリスが来てヒマワリの種をあらかた食べてしまっている。

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テンの姿もすぐ近くで見かけたから、なかなか生存競争は厳しいようだ。
林の中を通る道路にはたまに車にはねられて死んでいるリスを見かけることがある。獣の通り道に道路を造ってしまったから、あちこちで交通事故で動物が死んでしまう。秋に道路で死んでいたリスはほっぺたいっぱいに木の実を詰め込んでいて、口から木の実が道路にこぼれ落ちていて、胸を衝かれた。木の実を隠し場所に運んでいるところだったのだろう。
山の中を走る車の人たち、ゆっくり走ってもらえませんか。この辺りにはキジも多く、のんびり道路を歩いているのをよく見かける。車がゆっくり近づいてもあわてて逃げる風でもないのでハラハラする。

山の動物の生活ぶりを見ていると、山も川も海も、人間の専有ではないことをすごくはっきり感じる。

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ブナの新芽とタラの芽

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野鳥観察〜千客万来〜 [環境・自然]

IMG_1382.jpg3月24日頃

今年は寒い日が多く、長野山中はでは3月に入っても雪が降っている。雪に閉ざされていても木々はしっかり芽をつけふくらみ続けていた。冬の間は休眠と思っていたけどどうも違うようだ。自然は休むということはないのだ。
雪が降って面白いこともある。野鳥観察がしやすいこと。
ベランダに餌台を付けた。神棚みたいかな、と思ったが、鳥どもはこの屋根付きの餌台をすごく気に入ってくれた。そこに餌を置いておくと、次々に野鳥が来るようになった。この辺りの野鳥はグルメなのか、粟はよけヒマワリの種ばかり食べる。鳥を観察していると他のことが何もできないで困る。

来るのはゴジュカラ、シジュウカラ、コガラ、ヤマガラ、ホオジロ、アカゲラ、など。
アカゲラは別として小さな鳥の間にも強弱があって、一番強いのはゴジュウカラ。ゴジュウカラが飛び立つのを見てシジュウカラがやって来る。それからコガラ、ヤマガラという順番になる。入れ替わり立ち替わりぶんぶん鳥が来る様はすごい。

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アカゲラ
大きなアカマツにいるアカゲラが餌台に乗っていた。なんだかおかしい。

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ゴジュウカラ
いつも樹の表面を上下自在に歩き回っていて可愛いと思っていたゴジュウカラが、餌台を占有している。ヒマワリの種を3つも4つもくわえて運んでいく。なんだか近くで顔を見るとギャング然としている。

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シジュウガカラ
シジュウカラはのどから腹にかけて黒いネクタイのような模様が特徴だが、近くで見るとこの白黒の模様は思ったよりかなり芸術的だ。背中は緑色がかった灰色で美しい。

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コガラ
シジュウカラに比べのどの黒い部分は短く背は灰色。身体も小さくて可愛い。

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ヤマガラ
ヤマガラは人なつこいと言われている。人がいるすぐ近くまで来たりするが、ここでは他の鳥に遠慮している風である。

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ホオジロ
紅葉の小枝に止まっていたホオジロ。この子もふっくらしていて可愛い。

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ミヤマホオジロ
頭が逆だっていたのでカシラダカかと思ったが、図鑑を見たらミヤマホオジロだった。他の鳥がせわしく飛び交うのに、おっとりと動かない。
もうすぐ朝鮮半島かロシアに帰るのだろう。その前の一休み?

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イワナの不思議 [環境・自然]

川の中だの海の中だの山奥深くに生きている生物は、ふだんいつも見られるわけではないけど、いったん気になり出すと大きな存在になってくる。
標高1100mの長野山中の家の前の小さな川にいるイワナも毎回探して見ているうちにどんどん愛着が湧いてきた。いくら見ていてもまったく飽きない。見えない日はガッカリしてしまう。
この川は幅が1mもないが、100mほどの区間に、比較的大きいイワナ2匹と、今年生まれらしき稚魚4匹を確認している。稚魚は春には8cmほどで細かったのが、今では長さも12cmぐらい、色が濃くなり身体もふっくらしてきて、精悍なイワナの面影が出てきた。

家のすぐ南側にいるイワナをイワタロウと名付けた。北側のは稚魚なのでコタロウと呼ぶことにした。昼間はどこにいるのかめったに姿を見せないが、夜にはいつも定位置に横たわっている。川底の少しくぼんだ場所。まるで人のベッドに横たわるごとく。(夜、イワナは寝ているからライトで照らして見ることができるのだが、驚かせないようあまり照らし続けないようにしている。)

10月中旬にイワタロウの横にもう一匹の少し小ぶりのイワナが寄り添っていた。しばらくして2匹でぐるぐる川底を回り始めた。「これは、もしかして産卵行動!」と胸が高鳴った。
そのうちもう一匹のイワナはいなくなり、またイワタロウだけが定位置にいる姿を見た。そして、11月初旬、ついにイワタロウの姿も見えなくなってしまった。
イワナには下流に降りるものと支流に残るものがいるそうだ。もっとも家の前の流れは幅が1mにも満たないような小川なので、支流の支流だけど。
さて、家から数メートル下はもうU字溝になってしまう。雨が少ないときは深さ2cmぐらいしかなく、それがずっと下の湿原の本流につながっている。
もしイワタロウが下に向かったのだとすればもう上には上がって来れないだろう。U字溝を無理して上ってきたとしても上れない場所がある。

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当歳のコタロウはまだ上に留まっていた。イワタロウもどこかもっと上流に産卵場所を探しに行ったということもあり得る。イワナのペアは2,3カ所、場所を変えて産卵するそうだ。
これは『イワナをもっと増やしたい!』(中村智幸著/フライの雑誌社新書)という本から得た知識。この本にはイワナについて知りたいことのすべてが書かれている。イワナの形態、年令の調べ方、イワナの種川を残す方法、産卵床をつくる場所の条件・・などなど。
イワナを、「天然魚」「野生魚」「養殖魚」「放流魚」と分類する、というあたりを読むと、川に対して人がいかに無神経にふるまっているかを、思わず考えさせられてしまう。釣りが趣味という人はけっこう多いだろう。その中で渓流釣りが好きという人もけっこうな割合を占めるだろう。だけど、この本に書かれているようなイワナのすべて(イワナを守るための方法の細部まで)に興味を持つ人は案外少ないかも知れない。100人に一人までいかないのかな。
それにしても著者が携わってきた、長年のあきれるほど地味なフィールドワークには感動させられる。こういう人たちのおかげで私のような素人にも、何をしてはいけないか、していいか、が少しは理解できる。本の背表紙には『釣り人、漁協、水産行政の皆さんへ。』と著者の言葉がある。

家の下のU字溝は3kmくらい下でまた自然な川へと続いていて、台座法師池に流れ込んでいる。ひっそりしたとても良い場所だ。
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