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「生活格差」 [社会]

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ある言葉が世間に定着すると、もうその言葉は「驚き」でも「衝撃」でも「嘆き」でもなくなってしまう。
「格差社会」という言葉を聞いても使われ始めた頃よりインパクトがかなり薄れてしまったような気がする。事態が深刻化しているのにもかかわらず、だ。
もちろん、「格差社会についてどう思うか」と聞かれれば、「それは良くない」「底辺の人々の暮らしをこのままにしておいて良いはずがない」と多くの人は言うだろう。
でも、その反応力は明らかに鈍ってしまってきているように感じる。
次々に考えなければならないことが押し寄せてくると、払いのけたり、戦ったりする意欲が減退していく。
あきらめと無気力が生まれてしまう。

今は、貧富の差が大きく開いてしまいその溝が広がるばかりの社会だ。
それは誰もがわかっていることだけれど、お金があるかどうかで、一体、何がどう違ってくるのか、もっと具体的に意識する必要があるような気がする。
失業や住む場所もなくなってしまうことは最も深刻な例だが、その一歩か二歩あるいは三歩手前にいる一般的庶民の大多数の人たちの生活に関しては、失業者に比べればまだましということなのか、その問題点があまり話題になっていないように思われる。


立派な家、美味しい食べ物、高級な車や家具・・・こういったものは、実際、たいした問題ではない。「お金なんかなくても・・」「貧しくても家族健康で仲良く暮らせれば・・」という考え方もかろうじて生き残っている。
何も物がなかった時代の記憶というのはまだ受け継がれているし、厳しい生活に人は何とか耐えられるものだ、ということも、みんな知っている。


だが、そういう考え方が通用するには、皆が皆、同じような状態であることとか、やがて暮らしはもっと豊かになるという予感を誰もが持っていることが必要だ。
そして回りの人たちと互いに助け合う習慣というのも・・。
戦後の経済成長期と今では、そこが根本的に違っている。

いずれにしても、(お金で買える)物の裕福さは本当はたいした問題ではない。
「物」を持っても持たなくてもそれはたいしたことではい。

一番の問題は、お金がないことによって、時間や希望や気力がなくなってしまうことだ。

毎日夜遅くまでめいっぱい働き、家に帰ったら疲れ果てて寝るだけ。
週に1,2回の休みはあっても、疲れ果てているから、掃除をするのがやっと(しない人もいる?)。本を読んだり音楽を聴いたり運動したりなど面倒くさくてとてもできない。
寝てぼんやりテレビを見て、せいぜい車でショッピングモールに出かけるだけ。

旅行に行ってのんびり身体と心を休めるというようなことをするには、休みも足りずお金もまったく足りない・・こういう人はとても多いと思う。
疲れていると、家族で楽しくなどということにはならない。(むしろいがみ合いが多くなるだろう。)「つましくとも楽しいわが家」などというものはめったに存在しないのだ。

一方で、バリバリ仕事をし、日々身体を鍛え、いくつかの趣味を持ち、一週間かそこいらの休みを年に数回は取ってヴァカンスを楽しむ・・・こういう生活ができる人がいる。

「あまりに違いすぎないか」と感じるのである。

こういう「生活格差」のことをもっと考えるべきだ。
仕事は5時、6時には必ず終わり、家でゆったりでき、休みの日には何かやってみようか、という気持ちになれる生活。
そしてたまに一週間ほどの休みが取れ(混みあう盆や正月、ゴールデンウィークではなく)、家でのんびりするのもいいし、ゆったり旅行でもして、自然の景観を見たり知らない街の暮らしを見たり。本当にたまにおいしい物を食べたりする。

こういうことができるなら、毎日の暮らしがつましくてもがまんができる。仕事内容がつまらなくてもがまんする。着る物や贅沢品にはお金をかけず日々の食事も質素でかまわない・・と私は思う。

「生活の質」というのはものすごく大事なのだ。
一回かぎりの人生なのだから。

そうして、「生活の質」が一定レベルであるためには、労働時間が多くてはだめだし、最低賃金が低くてはだめなのである。

テレビ番組に出ている人、報道にかかわる人や解説したりしている人達は、生活レヴェルが高い人ばかりなのではないだろうか。それを生活レヴェルが低い人がぼんやり毎日ながめているって、すごく変だなあ(哀しいなあ)、と思う。

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mai

Tamaraさん、気づかされることの多い素晴らしい記事でした!本を読んだり音楽を聴いたりスポーツをするには心身の余裕が必要であり、そのためには経済的裏づけが欠かせませんね。私は仕事でたくさんの人の海外渡航歴を尋ねるのですが、10年前と比べて庶民レベルで海外旅行に行く人が減っていることを日々感じています。もちろん海外旅行は限定された指標ですが、全体に見て経済的にギリギリの人が多くなっているようです。
by mai (2014-04-26 18:51) 

tamara

maiさん、言葉がむなしくてブログからも最近遠ざかってしまっている私です。情報の多さとその速さときたら・・!
こういう時代には、経済的、時間的余裕がある人でなければ、世の中の流れにまともに向き合ってはいくことはできないでしょう。何も考えないで、その日その日をやりすごすのが精一杯になるのは当然ですね。
by tamara (2014-04-26 22:02) 

jmh

「仕事は5時、6時には必ず終わり、家でゆったりでき、休みの日には何かやってみようか、という気持ちになれる生活」・・・理想です。でもこれが当たり前のことなんですよね。
tamaraさんが言っておられる「生活の質」のこと、まったくその通りだと思います。そして「quality of life」が保たれるためには一定の経済的充足が必要なことも事実です。「社会には格差があって当然」と考えているとしか思えないようなリーダーのもとでは、残念ながら「生活の質」的に「豊かな暮らし」がもたらされるとは到底思えません。
by jmh (2014-05-04 20:36) 

tamara

jmhさん、情けない生活をしていても、人はそれに慣らされてしまうのですね。また、今の生活に不満を持っていたとしても、それを改善する方法を見いだしたり、考えたりすること自体、そもそも時間的に不可能だと思います。これ以上ひどくならないように今の生活を続けることが精一杯となるでしょう。今のような社会では「格差」は広がる一方のような気がします。
by tamara (2014-05-05 21:46) 

じゅんじゅん

しばらくタマラさんのブログにアクセスしておりませんでした。私は今、週2日だけ、集中して働き、後の5日は完全にフリーです。この生活になって2年近くになります。欲をいえばもうすこしお金が欲しいなとも思いますが、そうすれば、自由な時間をもう少し削らなければならないわけだし、とりあえずこれでいいかなと思っています。「一番の問題は、お金がないことによって、時間や希望や気力がなくなってしまうこと」全くその通りです。そして、最悪なのは、お金がないことによって = 時間がなくなることです。そのことにより、まっとうなことが考えられなくなってしまうことです。今、私は知りたいことを知り得、そのことについて思う存分思考をめぐらすことのできる十分な時間を持てているので、毎日の暮らしがつましくてもがまんができているし、仕事内容が少々つまらなくてもがまんできているのです。それに2日以外はまとめて休めているので、2か月に1回ほどは以前住んでいた場所で過ごし、昔の友人と楽しんだりもしています。人生は一度きり、消耗して命を落とすなんてまっぴらです。
by じゅんじゅん (2014-05-14 12:11) 

tamara

じゅんじゅんさん、本当にお久しぶりです。
私自身、言葉の虚しさを感じる今日この頃、ブログからは遠ざかりがちです。週2日間仕事して暮らすって誰にでもできることじゃありません。住む家は必要だし、最低限の生活費も必要。それができるってことは、ラッキーなのでしょう。時間は本当に貴重です。自分の時間を人にとられたくないないですね。(もうこれまでにさんざん取られましたからね。)ヨーロッパは週休2日から週休3日になったとか、そのうち週休4日になるかも、などと聞いて日本はいつそうなるかと期待していたら、どんどん労働環境は悪くなってしまい、もう「労働基準法ってまだあるの?」という気がしています。

by tamara (2014-05-16 00:10) 

じゅんじゅん

『週2日間仕事して暮らすって誰にでもできることじゃありません。』確かにそうですね。私はめぐまれているというか、甘えられる環境に居るからだと思います。東京に住んでいた頃はご多分にもれず、通勤と長時間労働で死にそうでしたよ。(笑)今の職場もご多分にもれず、非正規労働で、私は5日間の労働時間を2日間にまとめて集中的に働いているのです。働いている人たちの中にはダブルワークをしている人も多く、中にはトリプルワークという人もいて、いったいいつ寝ているんだろうという人もいます。こんなに働いていたら生活の質についてを語る気力もわきませんよね。
by じゅんじゅん (2014-05-27 14:13) 

tamara

正規社員でも会社に寝泊まりせざるを得ない人がけっこういる状況です。トリプルワークと聞いても驚きませんね。手放してしまった<人が本来持っていたはずの自由と時間>・・、これを取り戻すには世の中が大きく再び変わるのを待たないとだめそうですね。
by tamara (2014-05-30 22:14) 

ayu15

「生活の質」てとてもだいじですよね。
今の某世論・某メデア・某学者?某党は経済格差を推進して「横並びはだめだ」と言います。

まあ全員同じというのもどうかなあと思いますがなんか・・・。


とても不愉快なのは某世論・某メデア・某学者?某党は「道徳」には横並びでないと気が済まないんですよ。

これを宗教右翼・道徳右翼と言います。

格差を認めないのですよ。
はみ出すと「特権階級だ」「わがままだ」「規律みだすな」とたたきだします。


極端化すると
別に休みなしで働き収入多い
やすみ多く収入少ない(もちろん最低限は保障)
どちらもありでしょう。

問題なのは自分の意思でできないことかも?

某世論・某メデア・某学者?某党の声は人生は自分のものでなく社会のもの・国のものといってるように聞こえます。
そのくせ「基本は自己責任です」と公言してますからほんとひどいと思います。
by ayu15 (2014-06-18 09:15) 

ayu15

「一番の問題は、お金がないことによって、時間や希望や気力がなくなってしまうことだ。」
そうですね。

でも勝るとも劣らないのが、監視強化厳罰化・自由制限です。息がつまりそうです。
少子化対策で、多分唯一お金かからないものは、自民党が政界から消えることです。解決しないけどこれ以上わるくならないように。

差別偏見容認で、反自由主義の怖い集団は困ります。
by ayu15 (2014-06-18 23:23) 

tamara

人は、ひたすら働かされているような状況では、監視強化厳罰化や自由制限を感じたとしても、そのことを疑問に思ったり、変えたいと思ったりする余裕はないだろうと思います。
日々の労働をこなすのが精一杯の生活では、あらゆることに鈍感にならざるを得ないでしょう。
それが一番の問題だと感じています。

by tamara (2014-06-19 21:41) 

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