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秋の信州(2)〜熊に出会ったとき〜 [環境・自然]

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(道路脇の藪草が枯れ、カラマツも落葉し、見通しが良くなりました)

8月は熊出没のニュースがとても多かったが、秋になって熊情報はだいぶ減ってきたようだ。熊が好むどんぐりや栗がたくさん実ったからだろうか。
熊が人里に現れるのは餌が乏しい6月〜9月だという。

8月の始め、私も熊とはち合わせしそうになった。
日中の暑さがやわらいだ夕方、人も車も少ない道路を散歩していたとき、「ガオゥ〜!」という吠え声と共に道路脇の茂みの中でガサガサッという物音。

声の大きさと低さ、茂みの揺れ方から、獰猛で大きな犬かな?と思い、そのまま静かに通り過ぎた。5,6歩歩いてから、今どき獰猛な犬が放し飼いにされているはずはない、もしかして熊・・?と思った。
そう思ったらもう怖くて振り返ることができなかった。走るのは良くないだろうと、ひたすら静かな気配を保って20mばかりドキドキしながらそのまま歩いた。
そっと振り向いたけれど道路には何も見えなくてホッとした。

後で「よく冷静に対応したね〜」と言われたが、私は子供の頃から「動物にはもともと『悪意』というもはない」という考えがあって、動物が怒るのは、何かに驚いたり脅えたとき、と思うので、「おどろかせてゴメンナサイ、という態度に自然になってしまう。驚かすつもりはないです・・と静かにその場を離れるようにしている。

8月の5時頃はまだ明るいのだが、そういうことがあってからは散歩ができなくて困った。(やはり熊は怖い!お友達になれればいいが、そういうことはあり得なさそうだし、パニックになった熊がおそってくるという状況しかなさそう。)
熊は、時刻に関係なくあちこちで出没。市街地や駅のホームにまで出てきたという情報があって、なるべく寂しい場所は歩かない、歩くときは四方八方に気を配って、という感じになった。
川を降りてきた熊が撃ち殺されたというニュースがあり、そんな解決法しかないのかとガッカリもした。山で仕事をしている知人が「川を下ってきた熊は放って置いたらそのまま川を上って戻るものだ。どうして殺すことになったのか・・」と首をかしげていたが、私も同じように感じた。私の回りの人たちも「熊が可哀想だ」「なんで殺しちゃうんだろう」という声ばかり。

熊に出会うのは怖いが、かといって人里に出てきたという理由で熊を殺してしまうというのはどうも納得できない。
ともかく熊には『悪意』というものは全くないのだ。餌を求めて、あるいは人間が出す食べ物のゴミの味を覚えて・・とか、これは熊が悪いわけではない。出てきた熊を簡単に「殺しちゃえ」と言う人間の方が私はよっぽど怖い。(「殺す」とは言わず「駆除する」というようだが同じ事だ)
熊対策についてはもっと知恵を出しあえるのではないかと思う。

軽井沢では、熊を殺さずに共存する試みに取り組んでいると聞く。
NPOピッキオの熊対策は、
<熊を呼び寄せる要因となるゴミ対策、そして熊の捕獲作戦。捕獲後は大きな音を聞かせ人間に近づくのは危険という学習をさせ発信器をつけて山には放す。問題行動を起こす熊はやむなく、泣く泣く殺処分にすることもある>

熊がいるということは、そこに豊かな自然があるということの証しでもある。熊の存在を認めないのは自然界を認めないことになってしまう。

熊が近くにいると知ってから、歩くときには「鈴」を必ずつけるようになった。そして、シーンと静まりかえった林の中を歩くときは、盛大に鈴を鳴らしながら「通りますよ〜」「今ここを通っていますよ〜」と大声を出すようにしている。

熊だって人間に会うのは怖いのだ。いきなり出会うというのは避けたい。遠くで見かけたら静かにその場を立ち去るのが一番、と思っている。
近所の人曰く「ここはもともとクマがいたんだから仕方ないです。なるべく会いませんように、と思いながら歩いていますよ」

それしか方法はないのだと思う。

IMGP2597.jpg栗の収穫10月25日
山栗は美味しいです。道に落ちているのを拾っただけでこんなにたくさん。

IMGP2560.jpgハナイグチ10月27日
家の周りにハナイグチがたくさん出ていて食べきれませんでした。


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コメント 4

shira

 英語の授業でよく使うネタですけど、natureの反意語はhumanです。ヨーロッパの価値観では、自然と人間は敵対関係にあります。だから人間は自然とは戦略的に関わらねばならない。支配するか、協調するか、あるいは関わらないようにするか。例えば自然保護区というのは、そこは人間が関わらない場と決めた場所です。だからそういう区域でレジャーをするなど論外ということになります。
 一方、日本語では自然と人間は対立関係になく、むしろ人間は自然の一部と受け止められています。これはそれだけ日本の自然が穏やかである証拠でもありますが、野生動物のエリアで人間が余計なことをしてトラブルを起こす危険も大きいということでもあります。
 私は日本的な自然感は好きですけど、さりとて「自然は優しい」てなキャッチコピーはいかにも温帯的でイヤですね。自然は人間なんか眼中にないです。クマのような相手に対しては、なるべく関わらないように生きるという姿勢は必要だと思います。
by shira (2012-11-09 22:17) 

tamara

自然と人間との関係は時代と共に変わっていくように思います。人間が広大な自然の中のちっぽけな存在であった頃は、人が生き抜くためには自然界を相手に必死に戦わなければならなかったはず。
今は逆転、人間が自然界を支配しているようです。そうするとまた、これで良いのか、と考え始める。そこが人間の人間たる所以でしょうか。
私も「自然に優しい」というようなキャッチコピーはきらいです。そんな軽く一言で言い表せるものではないですね。
ただし、自然界の一部であるわれわれが自然を破壊していくことの怖さは知っていないとまずいのかなあ。ガン細胞みたいに自身の身体の中にあって自分を壊していくような・・。考えることはたくさんありますね。
by tamara (2012-11-09 23:25) 

ayu15

昔、日記に書いたくまもり協会がそうですね。くまが「自然」の頂点なので熊が生息できない環境はほかの生物にもよくないとか。

「迷惑だ!排除しよう!」はいろんな場面で出てきます。なんかそういうの怖いです。
by ayu15 (2012-12-04 20:46) 

tamara

排除は簡単な方法ですね。

幸いなことに私の知っている人はみな、えっ、熊がかわいそう、という反応です。
この間小学生が10人くらい下校でバスに乗り込んできましたが、みんなカバンに鈴をぶら下げていました。(チリンチリンと子羊のように)
事故がないように気をつけて行動する、ということと、熊は危険な存在だと決めつけ、見かけたらすぐに殺す、というのはずいぶん違う考え方ですね。

by tamara (2012-12-04 21:37) 

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