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普天間基地問題(続き) [社会]

普天間基地問題は頻繁に政治トーク番組で取り上げられていて、いろんな人がいろんな事を言っているが、全体の傾向は「鳩山首相ははっきりしない」「問題を先送りしている」「民主党政権は具体的な政策を持っていない」というようなもので、日米関係に悪影響をもたらしている、というような新政権への批評ばかりだ。
こうしたコメンテイターや野党の非難は見苦しい。なぜかというと、非難するだけで一向に自分の考えを出していないからだ。

<ではあなたはどうしたいのか>、<早急に結論を出せと言うがどういう結論か>、<沖縄にさらに基地を造れ、と提案するのか>

考えるまでもなく、普天間基地を縮小するために沖縄のどこか他の場所に基地を移せ、など正面切って言えるはずがないのだ。そんなことを行ったら「非人間」と烙印をおされてしまう。でも内心はそれでいいと思っているから、ただただ鳩山政権を非難しているのだ。

この間20代の人に、普天間基地についてはどう思っているか聞いてみた。答えは「しょうがないんじゃない。沖縄しかないでしょう。」
どうも沖縄は、日本の中でも一番じゃまにならない場所だ、と思っている様子なのだ。
いろいろ話しているうちにその若者が「でも軍備がない国だってあるんでしょ。日本も軍備を一切なくしたっていい。軍備のない国を攻めてこないでしょう。」と言い始めた。
20代というのは、180度違う考え方を自由にいったりきたりしている人が案外多いのかもしれない。だとしたら、やはりいろいろな機会に、「人が平等に暮らす方法」を広めていくことは大切なのだ。

日本の安全保障は大事である、と強調する人たちは、この「人間が平等に平和に暮らす」という考えが欠落しているのだろう。だから、思考回路が「軍備が十分でないとどこかの国が攻撃してくる。そのために軍事力は必要。日本はアメリカのおかげでこれだけの軍事力でもすんでいる」というものになっているのだ。
私だって、もしどこかの国が理由もなく戦争をしかけてきたらどうするのか、なんてわからない。それは、今東京に大地震が起きたらどうしたらいいのか、わからない、ということと同じだ。
「人間一寸先は闇」とは確かに真実であるが、だからと言って、みんな「闇」のことを考えて生きているわけではない。どういう「闇」があるのかわかったものではないのだから、それに対しての万全の備えなどできるはずがない。

それでも少しは備えておきたいと思う人は、他人に迷惑をかけない備え方を考えるべきだ。人の犠牲(沖縄)を国のためには仕方ないなどと思っている人間の言うことなど全く聞く価値がない。それにまた、日本が軍事力を持たない国になったとき、いきなりどこかの国が攻めてくる、など、かなり荒唐無稽だと私は思っている。だから、米軍基地も要りません。まして自分の住む場所で引き受けられないようなものを、他人に押し付けるなんて、とんでもない話だ。これまで沖縄にずっと押し付けてきただけでも罪深い。

ところでアメリカが沖縄に基地を持ち続けたいのは、沖縄が風光明媚、冬でも暖かく、心が癒される場所だからじゃないか、とひそかに思っている。軍隊生活ですさんだ心を癒してくれるような場所で軍事訓練をしたいのじゃないかと。
北沢防衛相がグァム視察で、「あちらでは淡々と再編準備をしていた。沖縄の基地をすべて向こうへ移設、などという雰囲気はなかった。グァム移設は日米合意から大きくはずれる。そのことを期待して何かをしようと思うと頓挫する」」とを述べていたが、それは当たり前のことでしょう。自分の国の基地づくり他国(日本)の都合を考えながら進めるはずもない。

政権が変わった今、基地問題を整理するにもっとも良いチャンスだと思う。「この際、米軍基地の撤退を目標にこれから準備していきましょう。」と、みんなで鳩山政権を一押ししたらどうだろう。「米軍基地は必要。そしてそれは沖縄にあるべきである。」など思っている人は一体どのくらいいるというのだろう。
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コメント 4

いしやん

tamaraさん、こんばんは。

実は母の死後1ヶ月目に今度は父が逝き
両親を二人揃って亡くして、悲しみにくれていました。

いくら90歳を過ぎていたから大往生だと言っても
やはり人の死は悲しいものですし、両親もまだまだ元気だったので
さぞ悔しかっただろうと思われます。
今年の正月は二人と一緒に御節を食べたのに
あれから1年もたない命でした。
今は毎日が供養の日々です。

沖縄が日本に戻ってきたのは私が大学生のころでした。
与論島から天気の良い日には沖縄が見え
あそこはアメリカであって日本ではないのだと思うと
なんでこんなところにアメリカがあるのだと不思議な気がしました。
当時は1ドル360円の世界で、沖縄は貧しい農業や漁業と
多くの人は基地に依存して生きていました。
日本に返還されたころ私は沖縄に行き
コザの基地周辺を歩いて廻りましたが
ホットパンツをはいた女の子たちがローラースケートで
思いのままに町を駆けていました。
その体格のでかさや奔放な態度に驚き、その隅で大人しく暮らしている
沖縄の人々を見てきました。

私もあなたと同じように、これ以上沖縄の人たちに
日米同盟による基地の存続で迷惑をかけることを居た堪れなく思います。
アメリカも政権が変わり、日本も変わったのです。
何を迷っているのでしょうか?
今こそこの半世紀の歴史を塗り替え
新しい関係を築いてゆくときだと思われてなりません。

あの奔放な女の子たちを見て、常夏の沖縄は
貴方が言うようにパラダイスだったのだと思います。
by いしやん (2009-12-13 23:42) 

ayu15

なんかかなり大変のようですね。
沖縄の人達の望みて海外でしょうか???

どこにせよ、アメリカの合意ないと不可能だそうなので相当難しそうです??
by ayu15 (2009-12-14 23:17) 

tamara

いしゃんさん、ご両親を続けて亡くされたとのこと言葉もありません。死は平等に誰にも訪れるとしてもそんな風に割り切ることはなかなかできるものではありません。もう決して話すことができないという事実は残された側を圧倒します。
沖縄の基地問題については、毎日ニュースを追っています。なんとか基地がなくなる道はないかと思うのです。

by tamara (2009-12-15 23:03) 

tamara

ayu15さん、基地問題を考えるとき、沖縄の人たちの思いというより、日本国民の思い、として考えるほうがいいと感じています。安保の見直しが必要だと思います。アメリカの合意より、国民の合意が先ではないかと。
by tamara (2009-12-15 23:12) 

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