元に戻せないもの [環境・自然]
私が住んでいる家の周辺には商店街もなければスーパーもない。まだところどころ、家と家の間に畑や田んぼがあったりする。
交通はいたって不便で、最寄りの鉄道駅に出るのにバス(一時間に2本の)で、40分もかかる。植木屋さんが多いので緑が多いこと、静かな所だけが取り柄の場所だ。ところが10年ほど前に大きな道路ができ、車がしょっちゅう通るようになり、空気がすごく悪くなってしまった。始めはショックだったけど10年もすれば悪環境にも慣れてくる。
さて、車の往来は激しくなったけれどやはりたいして商店もないこの場所に、二ヶ月ほど前、大規模な建築工事が始まった。いきなり現れた巨大な建築物の枠組みを初めて見たとき、「一体何ができるんだろう。」と不安になった。マンションでも建つのだろうか、と思った。胸が痛くなるほど、その建造物は回りの風景に対して、まったくちぐはぐで、まがまがしい巨大さだった。外出するとき、また帰ってきたとき、家の近くで否応なしにその巨大な建造物が見えてしまうのだ。
そのうちそれはパチンコ店だとわかったのだが、パチンコ店なんて繁華街にあるものと思っていたので、ショックは大きかった。
だんだんとそれは形を成していき、その巨大さは立体駐車場も付いているためだとわかった。もう、そっちの方向を見ないようにして、なんとか、急に開店しないということにならないだろうか、などと馬鹿げた空想をしたりしていたが、夏のある日、とうとう店は開店し、夕方そこにギラギラ明かりがついているのを目にした。
<明かりがともされた、もう後には戻れぬぞ!>
そこは不夜城のようであり、しかも強烈なライトは流れるように点滅しているのだった。あの近くの家は夜になってもまぶしくて困っているのではないか、あの前にある田んぼのカエルはこれからもそこに住んで、これまでのように鳴いてくれるだろうか、と心配やら不安やらですっかり悲しくなった。
さて見る度にショックだった建物も二ヶ月も経てば、かなりあきらめがついてきた。もう考えないようにしている。どうせ風光明媚な場所だったわけじゃなし・・と、思ったりして。
小さな狭い日本に巨大な建造物は本当に似合わず、醜いのだ。毎年訪れていた群馬水上の美しい川とその源流部へつながる道すじに巨大なダムが出現したときも、そのあまりの巨大さに何遍見ても理解しがたいのだった。その後も訪れる度に、「なぜあそこだけグレーに見えるのだろう」と思い、近寄ってみるとそれはコンクリートなのだ。その大きさにやはりまがまがしさを感じて胸が痛んだ。(こんな大きな物、後でいらないと思ってももう簡単には壊せないだろうな、という絶望。)
先日NHKスペシャルで解体する原発について取り上げていた。原子力発電所は解体する方法もわからないのに造られて、今、耐用年数が過ぎてしまった原発の解体に頭を悩ませている。もちろん放射性廃棄物の処理法もない。もともと原子力発電所は、建設、運転のコストや、そのために使われるエネルギー、それによって発生する二酸化炭素の量など、まったく計上されずに作られてきた。これは有名な話だが、「こういうことは世間ではあまり知られていない」という専門家の話が紹介されていた。こうやって時々テレビで取り上げたりしないと誰だって考えもしないことだ。
町の建造物だって使われなくなっても簡単に壊せないでそのままになっているものがたくさんある。解体するには膨大な費用がかかるから。
さて、日本人がこよなく愛する自然、山や海や川、はいったん壊してしまったら、もう元には戻らないのだ。復元させようにも、かろうじてもとの形に近づくまで、一体どのくらいの時を経ればいいものやら。
政権が変わって、無駄で不用な公共工事費が14%減ることになり、ダムの建設や干潟の埋め立てが中止になり始め、少しほっとしている。
これからの公共工事は、不用なものをなくし、自然の復元工事に方向転換をしてほしいと思う。コンクリートで固めたところを直したり、車椅子やお年寄りが歩けないようなぐにゃぐにゃの歩道を直したり・・電線は地中に入れたり・・など、やることはたくさんあるはずだ。
交通はいたって不便で、最寄りの鉄道駅に出るのにバス(一時間に2本の)で、40分もかかる。植木屋さんが多いので緑が多いこと、静かな所だけが取り柄の場所だ。ところが10年ほど前に大きな道路ができ、車がしょっちゅう通るようになり、空気がすごく悪くなってしまった。始めはショックだったけど10年もすれば悪環境にも慣れてくる。
さて、車の往来は激しくなったけれどやはりたいして商店もないこの場所に、二ヶ月ほど前、大規模な建築工事が始まった。いきなり現れた巨大な建築物の枠組みを初めて見たとき、「一体何ができるんだろう。」と不安になった。マンションでも建つのだろうか、と思った。胸が痛くなるほど、その建造物は回りの風景に対して、まったくちぐはぐで、まがまがしい巨大さだった。外出するとき、また帰ってきたとき、家の近くで否応なしにその巨大な建造物が見えてしまうのだ。
そのうちそれはパチンコ店だとわかったのだが、パチンコ店なんて繁華街にあるものと思っていたので、ショックは大きかった。
だんだんとそれは形を成していき、その巨大さは立体駐車場も付いているためだとわかった。もう、そっちの方向を見ないようにして、なんとか、急に開店しないということにならないだろうか、などと馬鹿げた空想をしたりしていたが、夏のある日、とうとう店は開店し、夕方そこにギラギラ明かりがついているのを目にした。
<明かりがともされた、もう後には戻れぬぞ!>
そこは不夜城のようであり、しかも強烈なライトは流れるように点滅しているのだった。あの近くの家は夜になってもまぶしくて困っているのではないか、あの前にある田んぼのカエルはこれからもそこに住んで、これまでのように鳴いてくれるだろうか、と心配やら不安やらですっかり悲しくなった。
さて見る度にショックだった建物も二ヶ月も経てば、かなりあきらめがついてきた。もう考えないようにしている。どうせ風光明媚な場所だったわけじゃなし・・と、思ったりして。
小さな狭い日本に巨大な建造物は本当に似合わず、醜いのだ。毎年訪れていた群馬水上の美しい川とその源流部へつながる道すじに巨大なダムが出現したときも、そのあまりの巨大さに何遍見ても理解しがたいのだった。その後も訪れる度に、「なぜあそこだけグレーに見えるのだろう」と思い、近寄ってみるとそれはコンクリートなのだ。その大きさにやはりまがまがしさを感じて胸が痛んだ。(こんな大きな物、後でいらないと思ってももう簡単には壊せないだろうな、という絶望。)
先日NHKスペシャルで解体する原発について取り上げていた。原子力発電所は解体する方法もわからないのに造られて、今、耐用年数が過ぎてしまった原発の解体に頭を悩ませている。もちろん放射性廃棄物の処理法もない。もともと原子力発電所は、建設、運転のコストや、そのために使われるエネルギー、それによって発生する二酸化炭素の量など、まったく計上されずに作られてきた。これは有名な話だが、「こういうことは世間ではあまり知られていない」という専門家の話が紹介されていた。こうやって時々テレビで取り上げたりしないと誰だって考えもしないことだ。
町の建造物だって使われなくなっても簡単に壊せないでそのままになっているものがたくさんある。解体するには膨大な費用がかかるから。
さて、日本人がこよなく愛する自然、山や海や川、はいったん壊してしまったら、もう元には戻らないのだ。復元させようにも、かろうじてもとの形に近づくまで、一体どのくらいの時を経ればいいものやら。
政権が変わって、無駄で不用な公共工事費が14%減ることになり、ダムの建設や干潟の埋め立てが中止になり始め、少しほっとしている。
これからの公共工事は、不用なものをなくし、自然の復元工事に方向転換をしてほしいと思う。コンクリートで固めたところを直したり、車椅子やお年寄りが歩けないようなぐにゃぐにゃの歩道を直したり・・電線は地中に入れたり・・など、やることはたくさんあるはずだ。
2009-10-18 18:16
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コメント(9)
お久しぶりです。
民主党の連立政権になってからというもの
まだ慣れないなりに、一生懸命やっている彼らの姿を見ると
まあ文句のつけようがないと言いますか
今までの自民党連立政権の出鱈目ぶりや、いい加減さが
目に見えてわかり、その時の方が
書くことはいくらでもあって
なんだか懐かしいような気もします。
それでも民主党の全てを信じているわけではございませんので
不正や理不尽な言動に対しては
まだまだしっかり監視しておかなくてはと思います。
あなたの今回のブログは少し毛色が変わって
とても面白く読ませていただきました。
確かに我々が生活する日常的な場面場面での感性といいますか
変わり行く光景や街の景観などに対して
ちょっと立ち止まって考えてみる時間の大切さのようなものを
思いました。
巨大な建造物が次第に目に付き始めたのは
民主党に鞍替えした田中真紀子さんの父上の
「日本列島改造論」のあたりからですよ。
作るのも大変かもしれないが
確かに壊すのも大変。
自由経済にまかせて建造された巨大な廃墟が
本当にあちこちで目に付きます。
公共事業の現象で土木屋さんの生活が大変になるのなら
この美しい日本の自然を元に戻すためにお金を使って欲しいと
私も切に思いますし、彼らも少しは助かるでしょう。
by いしやん (2009-10-18 23:31)
都心の商店街はさびれて、農業地域にお店・住宅がふえて・・・。
バスは効率いいろせんつくれないし、人は車にたより・・・。
狭い日本でアメリカのまねもねえ・・・。
by ayu15 (2009-10-19 19:30)
いしやんさん、ayu15さん、
住環境が貧しいというのはわびしいものですね。やはり政治に大きな要因があると思いますが、市民として自分たちの街を大事に作っていくという意識も、あまりに低いように思います。巨大なものを「発展」として喜んで受け入れてきた人が多かったわけですから。
by tamara (2009-10-20 19:30)
電線の地中埋設は大賛成です。一部の地域ではなされているのに、本格的に進めようという議論がないのは、必要性を肌で感じていないからでしょうか。景観だけでなく、交通安全の面からも重要だと思います(歩道が狭いところに電柱があると、歩行者はひたすら危険)。あとはダム撤去の工事の議論が盛り上がればいいのですが・・・。
by 齊藤 (2009-10-22 07:08)
斉藤さん、お返事が遅くなって失礼しました。電線ですが、長野市は中心街は地中に埋め直してあります。ところが国立公園(山中)は、新しく電柱建てているという不思議な現象で、一体何を考えているのかわかりません。積極的に働きかけていかないと何事もだめなのですね。ダムに関する斉藤さんのブログ記事はとてもわかりやすいですね。こんなにわかりやすい事がどうして伝わらないのだろう、といつも思います。
辺野古のこともどうなるのか心配です。「もう基地はいらない」となぜすっきりいかないのか納得がいきません。
by tamara (2009-10-27 00:27)
ご無沙汰です。
私の住んでいる近くに「曽根干潟」という立派な干潟があります。
ずっと沖の船着場まで干潟の中を一本道が通っており
潮が引くとその道が現れ、歩いて沖の船着場まで行けます。
私はいつもこの道を自転車に乗って行きます。
月夜など、干潮とかさなると幻想的な風景になります。
夏は涼しくていいのですが、冬は身を切るような寒さです。
でも私はこの冬の道が大好きです。
この干潟は私が子供の頃、アサリが嫌というほど採れましたが
いまはほとんどいません。
それでも多くの渡り鳥や野鳥が羽休めや給餌に、この干潟を訪れます。
数年前、こんな干潟の沖に巨大な「北九州空港」が出来ました。
いまのところ潮流の変化などはないようですが
影響が皆無だとは断言できません。
この空港への道は、私のような自転車乗りには最高の道なのですが
空港の稼働率は採算割れで、全国の地方空港と同じです。
海の遥か沖を埋め立てて、巨大な空港を作りましたが
辺鄙なところですから、福岡市の空港まで
高速を走って行くのと時間的に大差ありません。
願わくば、この空港が無用の長物とならないよう祈るばかりです。
干潟には若干ヘドロが増えてきたように見えますが
この干潟が無くならない様に見守ってゆきたいと思っています。
潮が引いた夕景は最高に素敵です。
ブログ楽しみにしております。
ではまた…
by いしやん (2009-11-10 20:39)
素敵な場所にお住まいですね。
干潟というのは本当に魅力的な場所です。いろいろな生物がいる場所というのはとても安心できます。
干潟の沖の巨大空港・・なんだか目に浮かぶようですね。
海の中のことは目には見えないので、どんな影響があるのか、あったのかを知ることは難しいですが、良いわけはないのだと思います。
by tamara (2009-11-17 22:04)
私の近隣ではパチンコ屋はむしろ減少傾向なんで、ちょっと不思議な話です。何もそんな土地に造らなくたってとも思いますが、けどパチンコ屋と飲み屋は相当な田舎でもありますね。私もパチンコはいっとき病的なくらいやってましたんで立派なことは言えないです。
by shira (2009-11-17 23:56)
こんなに人通りの少ない場所で商売が成り立つのかどうか、と不思議なのですが、最近は、宣伝によってどんな場所にも人を呼び寄せることができるようですね。
by tamara (2009-11-18 19:47)