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「集団的自衛権」がわからない [社会]

「集団的自衛権」という言葉にはほとほとうんざりでイヤになってしまう。
「集団的」という言葉は日本語の使い方としてどこか妙で、しかも「自衛権」というものが私にはよくわからない。国際法上で認められている権利であっても、「自衛」がそもそも具体的に何をすることなのかがわからない。

よく「泥棒が入ったらどうするのだ、入らないようにするだろう」「家族が殺されそうになったらどうするのか、ただ見ているのか」などと、飛躍した言い方をする人がいる。
泥棒が入らないように鍵をかけたり、留守にする時ちょっと近所に伝えておくなどの気を配ることと、国家の自衛、とはあまりにもかけはなれている。

国家などという大きな単位を守るとはどういうことになるのだろう。

世界には、法の裁きによる「死刑」を廃止している国がたくさんある。
人が人を殺してはならない、ということを前提にしているからこそ「死刑廃止」ということを国として法で定めることもできるのだ。

もちろん「正当防衛」というのはどんな場合にも起こりうることだ。でもそれは個人の場合であって、「国」という集合体は、別の次元であり、どう考えてもあてはまらない。
ベトナムと中国の関係悪化で、ベトナムでは反中デモが起き、その暴動で中国人2名の死者、多数の負傷者が出るいう事件があった。こういう場合、「家族が殺されるのを見ているのか」と言うような人は、中国人は同じ人数のベトナム人を殺し負傷させよ、というのだろうか?

軍隊を使って国を守るやり方=「自衛権」というものがわからない。
「外国から攻撃を受けたときにどうするのか」という人がいるが、「人間はむやみやたらに他人を攻撃したり、殺したりしない」ということが、今の人間社会の大前提になっているのではないだろうか。(もちろん、それからはずれてしまう悲しい出来事も多いことは確かだが。)

その大前提を捨てて「こんなことが起きると困るでしょ」「こいうときにこういう備えが必要ですよ」と盛んに主張しているのが安倍政権だ。

「自衛」とは、自分の国が外国人に殺されたら、同じ人数だけ、あるいはもっと多くの人を殺してやる、という態度をみせることですか?(軍隊というのはそういうことをするところでしょう。)
その場合、攻撃した国の人なら誰を殺すのでもかまわないのですか?

「やられっぱなしでいいのか!」といきまく人も多くいるが、暴力を暴力で抑えるという単純なやり方で、大きな集団である国と国の関係が修正できる、と本当に考えているのだろうか。

「平和」について特に大げさに叫ばなくても、私たちは、回りの人間が「平和に暮らしたい」という気持ちを持っていることを、当たり前のように信じて生きている。
人はケンカするより仲良くする方を好む、と思っているからこそ一緒の場所で生活できる。そうでなかったらとても人間の中で生きてはいけない。どこか人間のいない島にでも行って住まないことには・・。

私にはやはり「自衛」の意味がわからない。
そして、そこに「集団的」というさらにあいまいな言葉を付け加えるから、昔風に言うと「グレン隊」みたいなものをつくろうとしているように思える。

「そういうことをしたい(武力で他国を脅したい)」と想像したり空想したりするのは勝手だが、他人をまきこまないでね、と言いたい。

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shira

 集団的自衛権の話が出てきたころは、ロクに言葉の解説もないまま保守系メディア中心にイケイケムードだったのですけど、さすがに最近は用語の説明もされるようになって、反対運動の情報も流れるようになってきました。安倍政権は当初9条改定を狙っていて、そのために96条改定に熱意を示したのですけど、何だかんだ言いつつそういう画策は全部うまく行かず、最後に行き付いたのが解釈だけ変えて集団的自衛権だけOKにしようという実に情けない方法でした。そう考えると、安倍政権も決して順風満帆なわけじゃないんですよね。
by shira (2014-06-18 21:41) 

tamara

一体どうすればあのような考えを持つようになるのか、常々気になっていましたが。あるテレビ番組のコメンテイターが「(安倍首相は)歴史に名を残したいのでしょうね。」と言っているのを聞き、やはりそう思う人も他にいるのだな、と。
政治家の考え方は、特に2世3世になると、もう庶民の感覚とは大幅にずれてしまっているようです。教育改悪に始まり、どこまで民主主義を破壊していくのか、という危機的状況・・かんべんしてほしいです。
by tamara (2014-06-19 21:59) 

jmh

 shiraさんの言われるように、安倍政権というよりもアベ氏の立ち位置が徐々に変わってきていますね。最終的な落としどころをどこに据えているのかわかりませんが、いずれにしても「戦争できない国」から「できる国」をめざしていることは間違いないようです。そのために日本をとりまく環境の悪化を演出し、危機感をあおっています。
 しかし、アベ氏がいう、今あるこの国の「危機」は、外交の努力で解消できるものなのだと思います。「なめられないため」に武力を持つことなど、まさに前時代の遺物的な考え方。そういう不毛な考えを捨て去ることが憲法9条の最大の価値だと思っています。
 これまで骨抜きにされ続けてきた9条の最後の一線を、なんとしても守りたいと思います。
 
by jmh (2014-06-24 22:45) 

tamara

「なめられないために武力を持つ」は、まさしく前時代的な考えで、戦前に逆戻りした感じですが、与党政府やメディアが流す情報によって、一般庶民の中にも「もうこういう時代になったのだから、ある程度はしょうがない」などと言う人が出てくる始末です。「武力」というものを、他国を脅しつけるもの、とだけ捉えていて、「実際に人を殺すことになる」ということを現実的に考えない人が多い気がします。
国が危機的な状況になったときこそ、外交において「平和憲法」が生かされるときだと思います。それをやらなければならないのが政府の役割のはずですね。
by tamara (2014-06-25 22:42) 

じゅんじゅん

「集団的自衛権」と同じくらいわからないのが「原子力開発」という言葉ではないでしょうか。英語で言えばnuclear energy development 。「原子爆弾=核兵器」はnuclear weapon。そもそも原子炉というのはアメリカが科学者、技術者を総動員して原子爆弾を開発・製造するための実験炉だったのに、原子力の平和利用とか言って電気を生み出せばそれは「原子力開発」となり、同じことをやると言っても、それを主張するのが北朝鮮やイランだったらそれは「核開発」となる。核も原子力も同じなのにね。



by じゅんじゅん (2014-07-29 17:30) 

tamara

電力会社のたゆまぬ広報活動によって、原子力発電と核開発を結びつけて考える人もかなり減ってしまったような気がします。(特に若い人達は)
けっこういい年をして人でも、技術の進歩を安心して信じて、原発の存在を受け入れているも多いのではないでしょうか。
福島原発事故が起きながらも息の根を止められなかったということは本当に痛恨ですね。
by tamara (2014-08-01 23:05) 

ayu15

セキュリティジレンマ.. http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2014-07-28  というのがあるそうです。読んでたらあれ~~!ということに。
by ayu15 (2014-09-15 13:41) 

tamara

日常、自国の軍事力について考えているような人ってそんなにいないと思いますが・・。軍事力について問われれば、深く考えもせず(歴史を調べたりもせず)、なんとなくこうかな、という程度の意見を持ってしまたりして・・それが世論となってしまうのでしょうかね。
by tamara (2014-09-18 21:17) 

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