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天気と世の雰囲気 [雑感]

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寒さが終わりかけと思ったらすぐ花粉症のつらい季節に入り、桜の季節もいつの間にか終わり、芽吹きの美しい時期になった。
最近の天気は寒暖めまぐるしく変わり、風もどうしようもなく強い。
そう言えば、桜の季節は空はいつも曇っていて、「青空に映える桜」というのをほとんど見なかった。この2,3年そんな感じ?
まだ4月末だけれど時折の陽差しは厳しい暑さを予感させるので、はやくもウンザリしてしまう。気持ちのいい天気などめったにないものだなぁ、と思う。

人が生み出す「社会の雰囲気」というのもお天気と同じで、どうにもならない感じだ。
安倍政権が発足して4ヶ月。この政権はまだ具体的には何にもやっていないが、「景気をよくする」「医療、福祉に力をいれる」「女性に活躍の場を」・・と調子のいい言葉を並べ立てている。
唱え文句だけ聞けば政府は国民のために働いてくれるように思える。

その一方で憲法改正をして、個人を軽視し、政府(権力者)に都合のよい憲法をつくろうとしている。
でも、日常生活の中で、憲法を意識している人は少ないだろうな、と思う。
現憲法のおかげで日本は64年もまがりなりにも平和の中で、便利で快適な生活を営んできたのだけど、皮肉なことに、そのせいで、憲法の大切さを忘れて暮らしていられるようになっていたのかもしれない。
10年後20年後の社会がどうなるかを本気で心配して考えている人は少ない。ほとんどの人は今日明日のこと、1,2年先のこと、たとえ10年20年先のことでも、それは自分の生活の経済的な心配であったり、健康のことであったり・・である。それが人間というものだと思う。

平穏に見えるこの国の今の表の顔の陰に、危険に直面している人々、どうにもならない苦労を強いられている人々が大勢いることは忘れられて、というより話題に上らないようにされている気がする。

4ヶ月前、アベ政権が発足したとき、予想はしていたが、NHKの報道は、まるで恭しいことを発表している雰囲気で、民主党の発足時の扱いとはずいぶん違うと思った。内閣の面々を紹介する報道の声からしてまったくちがった。
やはり、NHKだの、財界だの、日本を牛耳っているような立場にいる者にとっては、自民党というのは特別なつながりのある党なのだな〜と感じた。
報道の仕方で、世の「雰囲気」も変わる。

福島の原発事故のことは、報道されても、もはや切羽詰まったニュースではなくなったような雰囲気だ。私が読むのは毎日新聞で、夕刊の特集ワイドは論理的で説得力のある文学者や学者の記事が載っていて、それを読むと安心するのだが、どうもそういう新聞記事とは無関係に世の中の雰囲気はあるようだ。
私は今ではNHKニュースを見るのも不快、という感じだが、安倍内閣の支持率は68%位あるらしく、一体どうしてそうなるのか不思議でならない。

人は、原発事故についても沖縄の米軍基地負担についても、「ひどいことではあるがそれはそれとして・・」という風に思考停止をしてしまうのだろうか。
一度、大きな思考停止をしてしまうと、もう思考停止は『癖』になってしまうのではないだろうか。原発が怖くないなら、もう怖いもの無し、ということだ。
自分が、今をそこそこ楽しく生きられるだけ幸せと考えればいい、ということになる。とても他の人のことまで心配することはできない(同情はするが)、ということになる。

景気には「雰囲気が大事」なのだ、そうだ。
そりゃ、雰囲気だの、明るさだの、楽天性など、そういうものは人の気持ちには大切なものだと思うが、政治を考えるに、そういうふうなものに頼るというのでよいのだろうか。
「雰囲気」というのは本当に場当たり的なもので、いつどうなるかわかったものではない。
いろいろな甘言を並べ立て、参院選までつないで、その後は約束した公約はできませんでした、ごめんなさいということになって終わるのだろうか。
円相場が変わって儲ける人は十分に儲けてしまったから、この後の不景気はどうということはないのだろう。多分、今の政権がつぶれても、また次に儲けさせてもらいますから、という仕組みになっているのだろう。

私が政治家に一番求めるのは、「弱者の側に立って物事を判断し政策を行う」ということだが、そんなことは求めていないという人のほうが大勢を占めているようで、何より経済(景気)が大事という「雰囲気」が社会に広がっていて・・・。

「雰囲気」というのは「天気」と同じくらい、どうにもならないものなのだな、と感じている。


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shira

 晋三坊ちゃまについては、前回の苦い経験もあるから、安全運転で行くのじゃないかという期待が私にはありました。実際3月くらいまでは割と慎重にやっていて、タカ派の閣僚も大人しくしていたように思います(一説にはアメリカからプレッシャーをかけられたらしいですが)。ところが最近になって中国・韓国と無用の軋轢を生むような感情的な発言をし始めました。このままだとまたアメリカ政府に嫌われて政権を失う可能性が出てきました。
 もうちょっとお利口さんだと思ってたんですけどねえ。
by shira (2013-04-28 23:20) 

tamara

ネット世代向けイベントというので、首相が戦車に乗って手を振っている写真を見ましたよ。
<一人でオモチャの戦車で遊んでいろっ!>(ちょっと言葉遣いが悪いですが)と、思わず言いたくなりました。
by tamara (2013-04-29 00:17) 

ayu15

うちの根拠のない漠然とした不安はよく当たります。
でかいものでは
サブプライム(当時まだ日本では取り上げられてない)
民主党政権の過剰な期待と崩壊
原発

ほんと見事に当たりました。

で一番の漠然とした不安は
空気です。
個人の尊重から規律秩序です。
憲法改正です。


もう不安どころか恐怖かも。

http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2013-05-05に書いてます。
by ayu15 (2013-05-07 15:22) 

tamara

「不安」は<漠然としたもの>から、急激に<現実味を帯びたもの>になってきたようで、本当に心配です。

政権が再び自公に移るだろうとは思っていましたが、その結果まさか一気にこんなにひどい様相になるとは・・。

教育基本法が改悪されたときは、まだ憲法がある、という思いもあったのですがね。

by tamara (2013-05-07 21:33) 

jmh

お久しぶりです。しばらくブログを野ざらしにしておりました。
たしかに今は政治も経済も、選挙も雰囲気で動いていますね。…でその「雰囲気」は誰が作っているのかと考えてしまいます。
報道機関がその役目を放棄している、或いは勘違いしている世の中では、自分にとって正しい判断は、自分が努力して判断材料を探して来なければならないのですね。
たいへんだけど、そういう努力が自分たちのための政治を手にするためには不可欠なんだと近頃思います。
やっぱり「良いもの」を手にするにはそれなりの手間がかかるということでしょうか。
by jmh (2013-05-07 21:52) 

tamara

ご無沙汰していました。私もまったくブログは放ったらかし、というよりパソコンに向かうことが激減してしまっていました。

新聞や雑誌で良い意見記事を読むと、「そうだ、そうだ」とつい安心してしまうのですが、なぜそれが、世論に結びついていかないのかが非常に不思議です。
当然ながら、私が正しいと思うこととは逆の意見はもっと出回っているのでしょう。人の気持ちは計り知れないところがありますねぇ。

by tamara (2013-05-07 22:31) 

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