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『いじめ』について考える [教育]

『いじめ』についての報道は聞くのがとてもつらい。
しばらく、学校での『いじめ』はニュースとして取り上げられていなかったが、今の世の中、学校現場は、どんどんひどくはなるものの決して良くはならないだろう、と思っていたけれど。

事件が起きた学校の校長および市教育委員会の会見を見ていると、あぁ、こういう学校に子供を通わせたくないな、いじめが起きても不思議はないな、と思う。

『いじめ』は身近にいる大人が気がつかないはずがないものだ。
子供同士の遊びの中に何かイヤな雰囲気を感じとったら、それがイジメである。子供の説明を聞くまでもなく、人の、身体や心を傷つけるようなことはすべてイジメである。

虐める側の言い訳として「ただの遊びだった」というのが多い。
やられる側も笑っている、という場合がある。それでも「それはイジメだ」と大人がはっきり教えてやるべきだ。
遊びのふりをして特定の誰かに嫌がらせをするのが『いじめ』だ。「遊び」は決して言い訳にならないことを、子どもには常々言い聞かせておく必要がある。「遊び」にもルールがあるということを(生きていく上でのルールである)よくわからせておかなければならない。


また、虐められる方にも悪い所がある、という言い方をよく聞く。
欠点があるとかないとかは、いじめ問題の本質とは関係はない。(大体、欠点がない人間がいるだろうか。)人の欠点で、その人に嫌がらせをしてはいけないのだ、ということを子供にはよくいいきかせておくべきだ。

子供というのはなかなか自分の行動を客観的にとらえることができないため、「それがイジメだ」と言われないと気がつかないこともある。「イジメだ」と指摘されて腹を立てる子供もいる。
人に嫌がらせをするのは平気でも、他の人から自分の行為を非難されることはイヤで、非難されるとカッとなる子供が多い。
それは、虐めをする子供の特徴である。

ともかく、いじめ、の雰囲気を感じたら、即、回りの大人は(教員、親)は、ストップをかけなければならない。面倒がっていてはだめだ。
いつもアンテナを高くしておいて、変な雰囲気がないか、気を配っている必要がある。

ところが、学校現場が事なかれ主義で、いざとなると責任のなすり合いになるような所だと、そういうことがうまくいかなくなる。
教員が子供ではなく、管理職や教育委員会の方を向いてしまうと、いろんなことが空回りし始める。
あげくの果て、いじめっ子と同じように「知らなかった」「気がつかなかった」と自分を正当化してしまうようになる。
あまりにも幼稚で、情けない学校の姿だ。
こういう「学校」は、みな登校拒否して自宅で学習しよう、と言いたくなる。そういう学校で得るものは大してないだろうから。

「子供はいろいろな試練を受けて成長するものだ」などと言うが、『いじめ』というものは、経験したり、あるいは、見たり聞いたりして、いいことは何一つないと思う。
そういうものに汚れず、まどわされず、まっすぐにあるがままに育つ方がずっといい。
『いじめ』というものを知らなければ、大人になっても、自分の考えを大事にし人の考え方も尊重する、ということが自然に行われるだろう。
他人の目をことさら気にしなくてもいられる人になるだろう。

さて10代の子供が、20代、30代、40代・・になったときどういう世界が待っているか?
やはり、いろんな『いじめ』や『嫌がらせ』が待っている。
仕事のために自分の時間が持てない。休憩時間も十分とらずに、夜遅くまで毎日働かせられて、文句を言うこともできない立場に置かれている。
文句を言うことなど思いつきもしないでいる。
経営のためにという理由で簡単に切り捨てられる。過重な仕事を押し付けられ追いつめられてしまう。

そういうことをなくすために労働基準法というのが定められているのだが、学校ではちゃんと教えているだろうか?
学校で一番大切なのは、「人権」についてしっかり教えるということだと思う。それが長い人生の指針になる。
教育で重きをおかれるものが社会を支えるものとなるはず。

逆に見れば、社会があまりに不平等だったり、個人の人権を軽んじるようであったりするならば、学校という場も、不平等、差別、人権無視・・というのは必ずあるのだと思う。

そういえば「原発に対して正しい知識を教えることが必要」などと最近言われているが、正しい知識って何?と、首をかしげてしまう。
「原発の正しい知識」は、誰にとって正しいことなのか。
電力会社にとって?原子力村にとって?政府にとって?財界にとってか??


物事の正しさは、「人権を尊重する」ことが最低限の基準になる。(本当は、人間ばかりでなく、他の生命体のことも考えなければならないのだ)
人権を教えられない学校は、もう、正しいことを教えられる場所ではないのだな、と感じる。


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コメント 6

齊藤

同感です。「いじめ」という、甘えを許す言葉自体を廃すべきだとも思います。
「いじめ」の被害者にもならず、うまく渡ってきた大人も多いんですよね。それが今度は大人の世界で陰湿さを生み出す。
by 齊藤 (2012-07-30 07:42) 

tamara

斉藤さん、お久しぶりです!言葉はいつの間にか本質からそれて特殊な使い方をされるようになりますね。
『他』を傷つけることは絶対に許されないことだ、ということが徹底されていない。だから大人になっても、大して意識もせず、平気で周りに害をまきちらす人が多いのでしょう。
by tamara (2012-07-30 09:51) 

shira

 誰かが皮肉で言ってましたけど、いじめの発生を「あってはならないもの」としているから、学校も行政もいじめはなかったと報告しようとする。だから逆に、警察の取り締りみたいに、いじめを何件発見したかを報告させて、たくさん「挙げる」ほど褒めてあげるようにすれば、学校も行政も一生懸命いじめを探すだろうと(捏造もするかも)。
 以上は冗談のレベルでしかないけど、いじめはどんな集団でも発生するものであって、発生そのものを「けしからん」と攻撃するだけで、正直に報告することを奨励しないうちは、もみ消しは今後も多発すると思いますよ。
by shira (2012-07-31 21:16) 

tamara

他の人に嫌がらせ(いじめ)をしてはいけない、と教える場が学校でしょう。それは日々の生活の中でずっと教えていかなければならないことだと思います。学力競争にしろ何にしろ、学校を競わせるようなことが間違いで、それに乗っかってしまっては、教育が堕落するのも当然だという気がしますね。
by tamara (2012-08-02 21:23) 

じゅんじゅん

まったくその通りです。子供ならず、教員もいじめられます。私が去年1年間行った中学では普通なら生徒指導の中心になるはずの体育教員が退職に追いやられたようで、対生徒で悩んでいたと同時におそらく教員間のいじめらしきこともあったと推察。また、生徒の自殺も私が行くすぐ前にあったと聞きます。いじめ自殺ではなかったようですが。私自身は生徒から日々いじめられていましたね。(笑)どうも、美術の授業をかき乱すことはストレス発散になるようで。天井を見ると無数の粘土が張り付いていたり、準備室に閉じ込めてみたり、まあ、やんちゃなレベルだったらまだ憎めないけど、言葉で本当に厭なことを言われると、教員でさえホント学校に行きたくなくなりますね。
by じゅんじゅん (2012-08-03 14:58) 

tamara

お久しぶりです。どうしてこんなに人(子供も大人も)の心が荒れすさんでしまうのか。私には、教育現場にも大人社会にも、ごく当たり前のことである「人権尊重」の感覚が欠落しているためと思われてなりません。粗略に扱われていい人格などないのだ、ということが忘れられているような・・というより、それが第一の目標にならなければだめなのだと思います。(原発や基地問題も同じなんですね)大人がしっかりしなければ子供はどうすることもできない、と思います。
by tamara (2012-08-03 21:20) 

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