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2011年を思う(2)教育 [教育]

教育については、ほとんど関心が向けられなかった年だった。
実際、それどころではなかったのだ。
あれだけの大災害に見舞われたのだから、被災者を救うことに国として全力をかたむけなければならないのは当然のことで、これまで大きく取り上げられていたこと、失業や派遣労働の問題、医療福祉の問題、そして子ども達の教育の問題は、かすんでしまった。

被災地の失業問題が非常に深刻に取り上げられるが、だからといって被災しなかった地域での失業問題がなくなったわけではない。自殺者も相変わらずの多さだ。
安心して穏やかに暮らせる社会、というのはますます遠ざかっている気がする。こういう社会において、教育はどういうものになっているのだろう。

大阪新市長は、某テレビ番組で「競争が大事、競争に打ち勝ったからこそ、あなたも私も今こうしてテレビに出演して話している」といきまいていた。「でも、競争に落ちこぼれてしまった人は、私は助けますよ。」などと言っている。
なるほど、よく頭と口が回る。競争第一を唱えるながら落ちこぼれのめんどうを見る、と言うのはまったく傲慢な態度で人をバカにしている。

私はこれまで大阪府元知事の言動を注目して見ていたことがない。どう見てもテレビ人気にあやかった政治家という感じだし、一度テレビ番組で、高校生相手に教育談義をやっていたのを見て、あぁ、この人は高校生にまともな説得力ある話すらできない人だな、と思った。
女子高生が私立高校の助成金を減らされたら困ると訴え、かの知事はただ「そう思うならアナタが大人になって政治家になってやって下さい。」と言い、その高校生は涙ぐんでいた。
こんな返答しかできない元知事が、なんだかテレビでもてはやされているようでやたら名前を聞き、うさんくさい名前の会を立ちあげたりしているようだったが、そういう情報は意識的にシャットアウトしていた。

教育に焦点が当たらなかった年だが、教育界は一体どうだったのだろうと思い返した。民主党政権には教育面で少しの期待もあったのだが・・失望感しかなかった。
そして話題になっている<維新の会>とやらの大阪府教育基本条例骨子を読んでみた。
きちんと読んだのは初めてだったが笑ってしまった。
ちょっと覚え書きとしてその骨子を書いておくと、

・知事が教育委員会と協議し教育目標を設定
・府立高全校長を公募
・3年連続定員割れの府立高は統廃合
・学力テストの学校別結果を公表
・保護者などの学校協議会が校長・教員を評価
・2年連続最低評価の教員は分限処分(免職を含む)

唖然とする内容だ。今になって唖然としている私は遅れているのだろうけど、最近はとにかくニュースをあまり見たくない新聞は読みたくない、状態だったので、今頃驚いている。すべての項目に唖然としてしまう。
これらすべての項目にいちいち意見を述べるのもばかばかしい。
ともかく言えるのは、教育の憲法と言われる教育基本法をまったく無視した内容だということだ。無視というより真逆の内容。

教育基本法は安倍政権で改悪されてしまい、もともとの基本法の精神に、それに反するような内容の項目を無理矢理につけ足してあるので、部分的に読み手が好きなように解釈できてしまう。
いたるところ矛盾があり、都合の良い所だけ使えばいいという感じで、おそろしくぶざまな基本法に変わってしまった。

大阪府教育基本条例は、おそらく《教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない》という部分を念頭につくった骨子なのだろうが、この条項の最初には実は、
《教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、》ときちんと書かれている。

「不当な支配」というのは戦時中、学校教育が国家権力によって徹底的に介入され利用されてきたことをあらわしている。「不当な支配に服することなく」というのは、そういう政治的な利用から教育は守られなければならないことを言っているのである。(現場の教員が「今の学校現場に、不当な支配をはね返す力は残っていない」と言っていた。)

また第二章には
第九条  法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。
2  前項の教員については、その使命と職責の重要性にかんがみ、その身分は尊重され、待遇の適正が期せられるとともに、養成と研修の充実が図られなければならない。

とある。
教員をお互いに競わせるなどという考えがどこから生まれるのか、まったく不思議である。

競争というなら、この住みにくい社会で、人々は否応なく、どっぷりと競争にまきこまれている。その競争は具体的にライバルや商売敵と行われることもあるが、もっと大きな組織、社会の枠組みと戦わなければ生き残っていけない。毎日が自分と戦ったり、世の中と戦ったり・・要するに「競争」している。

このような社会で、一体なぜ「競争」を強調しなければならないのか。また、する必要があるのか。
つまりは、うだつが上がらないのは競争に負けたからだという評価を与えることで、組織や社会の枠組みの欠点、不備をぼやけさせる魂胆ではないか。
大阪府教育基本条例には、それが丸見えで、こういうことをやらなければ、学校教育はうまくいきますよ、という見本みたいなものだ。

こういう競争奨励のようなものを、「なかなかいいんじゃない」と思ってしまう人が意外と多い。ダメな教員をあぶり出すのもおおいにけっこうと思ってしまう人がいる。こういう考えは、社会不安の原因を教育のせい(つまりは教員のせい)にしてしまうとすっきりするから生まれるのだろう。

「教育とは何か」など、一般の人はほとんど深く考えない。
それこそがプロの教員が真剣に取り組む問題なのである。
学校にも時には客観的にそこで行われている教育を見つめ直し、新風をふきこむことは必要かもしれない。しかし、日々膨大かつ細々とした仕事に追いまくられ毎日無給残業で疲れ果てている教員にはそれは大変難しいことだと思う。
だからと言って、シロウトのどこかの誰かさんがやれることではなく、それはプロの教員にしかできないのだ。
<教員の適正な待遇>、<養成と研修の充実>が教育基本法に記されているのはそのために他ならない。

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コメント 6

shira

 私は橋下徹は石原慎太郎同様、教育の内容にさほど関心のない人間だと思っています。この条例案も教育行政面しか書いておらず、内容についての記述は皆無です。だから彼は制度をいじくったら満足するのではないかと思っていました。ところがまずいことに、府知事が橋下の腹心になってしまいました。得てしてナンバー2というのはナンバー1の関心のない部分で頑張りたがります。安倍晋三はその典型です。そういう点で大阪の公教育はかなりピンチだと思います。
by shira (2011-12-29 20:55) 

tamara

市長と府知事のペアーなのでかなり厳しい状況になりそうと思いましたが、なるほど、ナンバー2はナンバー1の空目標を実現していく怖さがあるのですね。
それにしても東京都と大阪がこれでは、日本の教育の未来は本当に暗くなりそうです。
by tamara (2011-12-29 22:49) 

ayu15

旧約聖書の世界??
やがて変容して・・・。

反省の上にある今を否定して反省前に戻すとはねえ・・。
なによりそれを容認する「空気」が不安です。
by ayu15 (2012-01-04 14:07) 

tamara

歴史の事実を反省することができなかった、あるいは歴史から反省すべきことを学べなかった・・そういう人が、この頃、平然と表に出てきているような気がします。容認する人が後押ししているわけですが・・。
by tamara (2012-01-04 15:52) 

jmh

教育は、一人の人間が自分自身の判断と意思で、社会で生きていくことができるよう、知識や思考方法を育てるための手助けだと思っています。特定の価値観に基づく社会や制度の維持のために行われるべきものではないし、「人の育ち」を何か他のことに利用するのは大間違いで、はっきり言って許せないことだと思っています。
橋下氏の考えがどこを向いているのか、よくわかりませんが、人それぞれの幸せのための教育ではないように思えてなりません。とても心配です。
by jmh (2012-01-11 20:53) 

tamara

jmhさん、私も同様に考えます。教育は、立身出世(テレビに出られるほどの?)のためにするものではなく、個人の判断、意思、思考、社会の中で自律して生きていく力、を育てるための手助けだと思います。教育は政治の下にあってはならず、この欠点だらけの今の社会・政治を乗り越えてもっとすばらしい未来を築いていく力を育てることを目標にすべきなのだと思います。
by tamara (2012-01-11 22:19) 

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